■「酒とつまみと営業の日々」第36話〜第40話 ■

第36話 なんだかひどく焦ってきたぞ号

 『タモリ倶楽部』からのお声かけしたもらった内容は、番組常連の酒飲み出演者が『酒とつまみ』編集部にやってきて、なんか喋ったり、酒を飲んだりする、というものだった。よく分からない。タモリさんも来るという。きっとなぎら健壱さんも来るのではないか。ますます分からない。
 編集Wクンは出たがらなかった。一方で、この依頼の直前まで「人生いいことなんてひとっつもありゃしねえんだよ」とこぼし続けていたカメラのSさんは、なんか特別にいいことがあったらしく「人生捨てたもんじゃねえ、恋は遠い日の花火じゃあねえんだ」と浮かれまくっていたのだが、やはり、番組には出たくないという。これはもったいぶっているだけと読めたが、Wクンが出ないで、私とSさんだけが出演するというのは、想像するだに寒すぎる感じがして、そんな展開を考えることさえ憚られた。
 ところで、この時期は、驚くことが立て続けに発生していた。この号から交換広告を始めた札幌の海豹舎を主宰する舘浦あざらしさんから、100冊送ってくれという申し出があった。札幌は、大手書店の一部と北大生協などにお願いして販売をしていただいてきたが、なかなか苦戦させられていた大都市のひとつ。そこでいきなり100冊送ってくれというのである。そして、いくらも日を置かずに、もっと驚かされることになった。あざらしさんから手紙が来て、そこには、完売しそうだから、先にお金を払いますと書いてあったのである。さすがは発行部数が1万部を超える『北海道いい旅研究室』を編集発行する人だけに、販売力もすざまじいものがあったのだ。
 神田の三省堂書店においても、驚くべき事態が発生していた。ネットで『酒とつまみ』に関する情報を検索していた編集Wクンは、あるサイトを発見した。そこでは、8月中旬のある時期(たぶん1週間くらい)、『酒とつまみ』7号が、売上げランキングの上位30位に食い込んでいたのである。
 うそー! と叫んで、ビールを開け、翌日もその翌日もウソー! と叫んでは飲みに出かけ、その勢いのまま、なんかこう、ひどく焦った気分のまま、実にどうもなし崩し的に、Wクン、Sさん、私の3人は、『タモリ倶楽部』収録の日を迎えることになったのである。
 テレビに出て知名度を上げ、願わくば『酒つま』ホームページの存在などもさくっとアピールしたいなどと考えていた私がバカだった。私は極度のアガリ症である。何を振られてもまともに答えられない。答えようとすると長くなって使い物にならず、途中で誰かの声がかぶってカットということになる。何も言えない。おもしろいことは何も言えないんだと思えば思うほどツボにハマる感じで、結局のところ、指先をプルプル震わせながら、収録中はひたすら酒を流し込むことになった。にごり酒をホッピーで割った「にごりッピー」をがぶ飲みして、井筒監督とよろしくやっているカメラSさんのノー天気ぶりが、心底うらやましかった。

(「書評のメルマガ」2006.5.13発行 vol.263 [ 昭和な暮らし 号] 掲載)

第37話 反響の大きさに、マックも潰れる

 『タモリ倶楽部』の放送は、収録からちょうど20日後の2005年9月23日だった。祝日だったため、通常の金曜日であればまず見ることのできない(その時刻はまだどこかで飲んでいる)この番組を、自宅でゆっくりと見ることができた。なんとも恥ずかしい30分であったが、酔っ払いに優しい、とても好意的な編集をしてもらっていて嬉しかったし、なによりも、我らが『酒とつまみ』編集部に、タモリさん、なぎらさん、井筒監督がいるという図が、自分でも妙におかしかった。
 さてその反応だが、自宅でゴロゴロしながら見ている私のもとへも、何件かの電話が入った。まだ放送中にかけてきた人もいた。中にはとても久しく会ってない人などもいて、テレビの影響力の大きさには改めて驚くばかりだった。
 しかし、本当に驚いたのはその後のことだ。翌日、編集Wクンが編集部のパソコンを開くと、そこには番組放送終了の直後からのメールによる注文が殺到していたのである。殺到などというと大袈裟に過ぎるかもしれないが、今、過去の履歴を見てみると、23日の深夜、つまり24日未明から翌25日へと日付が変わるまでの間に、50件近いメールが入っており、そのほとんどが注文で、中には、バックナンバーまで全部とか、定期購読希望なども含まれていた。
 この注文を即座に全部処理できたわけではない。人手不足ということもあるが、それよりもなによりも、編集部の酒とつまみホームページ用に使っているマックが、潰れてしまったのである。
「マックが、変な音たてていて、そのうちに、動かなくなってしまいました」
 24日の夜、私はWクンからそう連絡を受けた。今、過去の履歴を見ると、たしかに、送信日時が24日になっているメールは50本くらいあるのだが、そのうち24日に受信できたものは半分にも満たない。それ以外のメールを受信できたのは27日のこと。貧乏な『酒とつまみ』編集部がコツコツと売上げを貯めてきた口座から泣く泣く金を下ろし、秋葉原で新品のマックとモニターを買ってきた27日まで、注文受けられない状態が続いた。テレビの反響の大きさに、編集部スタッフだけでなく、マックもびっくりしてしまった、ということになるだろう。
 9月24日から10月1日までの1週間で、個人注文だけに限っても、その件数は110件ほどに上った。そして、この勢いはまだまだ続いていく。このとき以降、編集部内に所狭しと積み上げられていた在庫の山が、少しずつ、しかし着実に、消えていくことになるのである。

(「書評のメルマガ」2006.6.9発行 vol.267 [ 記憶の土蔵 号] 掲載)

第38話 編集Wクン、嬉し泣きの日々

 2005年10月、『タモリ倶楽部』の放送から1週間を過ぎても、反響は留まるところを知らなかった。毎日、毎日、メールを中心に、注文が入る。そして、その大半が、3号から6号まで、とか、3号から7号まで、というまとめ買いで、8号からの定期購読を申し込む人も少なくなかった。
 編集部では、個人のお客さんから直接注文が来ると、メールの場合なら、まずはお返事を書き、それから出荷の作業に入る。注文してくれたお客さんの名前や住所などを登録するが、すべてアナログ処理である。横長のノート、1ページにちょうど20件分を書き込めるノートに、まずは情報を写し、それから、封筒の宛名を書く。そして、注文の本を揃え、冊数分の値段に送料を足した金額を郵便振替用紙に記入して同封する。このほかに、号ごとのノートにも冊数と日付、個人向けの直販であることなどを記入し、この作業が完了すると、宅配便の業者に連絡を取るのである。
 1件の注文を処理するのにも、相応の時間がかかる。この注文が1週間で100件近くも来ると、とてもではないが、対応が困難だ。書店さんかの注文もあるし、そもそも我々は、『酒とつまみ』に関する編集・制作・営業などとは別の仕事をしなければ、食べてはいけないのである。注文が来るということは、たいへん結構なことなのだが、いざ殺到するとなると、何か急ぎの仕事があるにもかかわらず、まずは注文の対応に追われるということになる。注文は、番組放送からの1ヵ月強の間に、ざっと数えて220件に上った。
 そして、この対応をしたのが、編集Wクンである。ひとりで対応した。なぜ、ひとりなのか。
 まずは私だが、諸々の仕事に追われ(単に二日酔いをしているという話もあるが)、編集部滞留時間がひどく短い。おまけに事務仕事が嫌いである。誰だって好きじゃないだろうが、元来、わがままな性格なので、嫌いなことをやるとなると、まるで能率が上がらないのである。そして、いつも編集部にいるもう一人であるカメラのSさん。この人の場合は、編集Wクンをなんとかして助けたいと思っている。思ってはいるのだが、残念、宛名を書けば必ず間違える。しかも、仕事が遅い。
 ということで、編集Wクンは連日、注文への対応に奮闘し、やがて嫌気がさし、ちょっと投げやりになってきた。
「パソコンを立ち上げるのが嫌になってきた。注文をこなしたばかりなのに、メールを受信するともう、新しい注文が入っているんだから。嬉しい悲鳴とか言いますけどね。ああ、イヤんなった! 誰かちゃんと仕事ができる助っ人はいねえのかよ!」
 そうこうするうちに、10月も終わり、11月に入ったばかりのある日。タモリ倶楽部ショックもようやく沈静化してきたかと思われたころ、私は1本の電話を受けた。
「『タモリ倶楽部』の○×ですけど、12月放送のおつまみ特集に出ませんか?」
「へ? また?」
「出ていただけますよね」
「ええ、出ますけど」
 ひとまず出ると答えながら、私は、荒れ狂うWクンの姿を思い浮かべていた。

(「書評のメルマガ」2006.7.7発行 vol.271 [ 沈丁花の女 号] 掲載)

第39話 同じ号を5冊買ってくれる男

 2度目の『タモリ倶楽部』の放映は2005年の12月だった。今回は、編集Wクンと私に加え、『酒とつまみ』誌上で『つまみ塾』の連載をお願いしている瀬尾幸子さんも登場することになった。酒飲みのための簡単つまみの、その簡単さ、安さ、手軽さを競うという趣旨で、私とWクンはなんと、審査員であった。うまい、まずい、は、わからない。どうせ、そんなコメントを期待されているわけでもないだろうし、番組のどこかで我らが雑誌の表紙が映ったり、ちょっとだけ宣伝めいたことを言えればいいなあ、と思っていたが、そんな器用なこと、できるわけがない。
 ディレクターさんからの指示は、ただ飲んでいればいいから、というものだった。私が座る場所の背後には業務店が使う生ビールのディスペンサーが設置され、極度に緊張していて身の置き場のないWクンと私は、ただただ飲む。番組の進行とは無関係に、飲む。ときどきコメントを振られると頭の中は真っ白。恥ずかしくてまた飲む。この繰り返しだった。
 2度のテレビ出演は、『酒とつまみ』バックナンバーの在庫一掃という嬉しい産物を残してくれたが、他に、身辺でも変化があった。
「タケちゃん、すっかり有名になっちゃって、俺なんかと口もきいてくれなくなるんじゃないの?」
 よく行く酒場の常連がそんなことを言う。冷やかされるままでは嫌だから、
「そうそう、もう誰とも口をきかねえよ」
 なんて返したりする。と、まだ若いバーテンダーが、
「Aさんのこと、忘れちゃダメですよ。すべてはAさんから始まったのですから」
 なんて、私を諌めるのである。Aさんもこの店の常連で、無類の酒好きである。この人が、『酒とつまみ』を力強く応援してくれるのだ。
 創刊号を出したばかりの頃、我々は書店員に声をかけることさえできなかった。営業もなにもあったものじゃない。そんな頃、Aさんは、奇特にも我らが『酒とつまみ』を置いてくださった書店に足を運び、何度となく購入してくれた。それも、一度に3冊、5冊と買うのである。
「今日も5冊買って友達に配ったんですけど、買うときには、書店の女性の店員さんがね、『お客さま、同じ商品を5点でよろしかったでしょうか』って聞くんですよ。だからね、『いいんです、酒とつまみを5冊です』って言うんですよ」
 この一言で、書店員は『酒とつまみ』を覚えてくれる。書店の在庫は一気に減る。事実Aさんが通ったその店では、まとめて入荷した『酒とつまみ』が、ほぼ完売したのだった。
 テレビ出演の影響はとてもとても大きかったけれど、その一方で、今も書店に足を運んでは3冊、5冊と買って友人知人に配ってくれるAさんのような応援者が、いる。私はAさんにも、他の応援者の人たちにも、うまい1杯をご馳走しなくてはいけない。感謝の気持ちのこもった1杯を飲んでもらわなくてはいけないと、今も、ときどき思ったりする。

(「書評のメルマガ」2006.8.9発行 vol.275 [ カトレアの匂い 号] 掲載)

第40話 何もできない、進まない

 なにかと慌ただしい気分に追いまくられながら、『酒とつまみ』編集部の1年は暮れていった。わずか500部を印刷して、こんなもの誰が買うのかと思った創刊号の発行から丸3年を経過し、この小さな雑誌をきっかけに2度もテレビに出るなど、創刊当初思いもよらない展開になっていた。
 2006年を迎えるとき、第8号を早々に出すことと初の単行本を出すことを目標にした。そのためには、本の発送作業や事務手続きをする人の確保、なによりすべてに先立つものの確保などが課題となった。そうしたことについて編集Wクンと話し合うのだが、答えは出ない。しかし、どこかにヒントはないものか。少しばかりの酒を入れながらの話し合いは、いつも、少しばかりの落胆を伴って終わるのだった。
 それでも、やれることをひとつずつ進めなくてはならない。私個人の話でいえば、担当している書店ごとの取引状況をまとめてある台帳を完璧にした上で、配本時に、効率よく書店回りをするための配本リストを作成、その上で、地域別の配本順を決めていくなど、一応、頭の中でやることは整理できているつもりだった。
 しかし、何もできない、進まない。
 当初、『酒とつまみ』の第8号は、遅くとも年内に出したいという希望を持っていた。しかし、年を越した段階になっても、上がっているのは連載陣の原稿ばかり。編集部内の作業は滞っていた。わずか80ページの雑誌である。集中すればそれほどの時間を要するものではないはずだが、そんな思いが油断につながるのか、作業は遅々として進まない。
 連日、酒も飲んでいる。加えて年が明けてからは、酒場ばかりを訪ね歩く取材も始まって、夜のみならず、昼間も酒場に足を運び、そこで少し飲み、夕方からは翌日以降の取材先へ挨拶やら取材依頼やらで駆け回ることになった。これは、『酒とつまみ』のための仕事ではないが、軒数は80軒に及んだ。1日2軒の取材をしながら80軒をこなすには、休みなしで40日かかる。取材の前後にその店で飲むことを基本にしながら80軒の取材をこなすことを始めたとき、『酒とつまみ』第8号の、こと私が担当する作業は完全に止まってしまった。
 すぐに1ヵ月が経過した。体調は最悪の状態にもなった。
 何もできない、進まない。2006年の1月後半から3月にかけて、『酒とつまみ』は編集も営業も凍結したかに見えた。
 しかし、そんなときでも、書店や個人の読者からの注文は途絶えたわけではなかった。編集Wクンは、注文があるたびに、的確にこなした。『酒とつまみ』のバックナンバーの山は、少しずつ、その高さを削られていった。それは、作業が完全に止まりながらも、『酒とつまみ』は動いている、という事実を物語っていた。

(「書評のメルマガ」2006.9.15発行 vol.280 [ 早稲田で古本を 号] 掲載)



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