■「酒とつまみと営業の日々」第76話〜第79・最終話 ■

第76話 酒つま広告小史 1

 『酒とつまみ』12号の発行が遅れまくりながらも、新たな体制に向けてW君が奔走しているとき、私はふと、現在、とても増えてきた広告について振り返ってみた。
 創刊号から11号までを取り出してみると、面白い。もちろん、創刊号に広告などない。表2は、あいさつ文、表3には、寄稿の募集などを掲載、表1、表4は現在とほぼ変わらない(表4にISBNとバーコードがついただけ)。
 では第2号はどうかというと、これまた広告はない。
 最初の広告が入るのは次の3号。部数を、第2号の倍の4000部に増やしたときからだった。現在も継続している『中南米マガジン』や『ジャッピー!』の広告がこのときスタート。この2誌は、わざわざ当方を訪ねて交換広告に誘ってくれたのだった。もちろんベタ空きの表3スペースを提供した。
 そして4号。さらに3分の1ページの広告が3本入ってきたので、これを表2にもっていった。3号まで続いた表2=ご挨拶ページという構図が、このとき初めて崩れた。
 ただ、いいことばかりだったわけじゃない。この4号に広告を掲載したある企業からは、現在に至るまで広告料をいただいていない。こちらに不手際があったのではない。払ってくれと電話としてもまったく効果がないのである。
 しかしながら、そういう哀しいことにもめげずにすむような、楽しいことも起こってくる。まずは、広告主。4号からは今も表2ページの常連である「ふじもと歯科診療室」が登場、6号からは「是政整骨院」とページを分け合う形となった。是政は府中、「ふじもと歯科」は稲城。いずれも多摩エリアである。私は、このページを、「多摩・医療系広告のページ」として、毎回楽しみにするようになった。
 レコード会社にお勤めの方から広告を出したいというお話をいただいたときは驚いたが、決まった時期にちゃんと発行できないという広告媒体として極めて問題のある媒体のためか、最終的には商品広告などでなく、社員有志による応援広告となった。これは、とても嬉しかった。
 『酒とつまみ』は、酒類の製造・販売会社、飲み屋さん、おつまみの製造・販売会社などからの広告はお受けしないという、極めて高尚な志のもとに運営されてきたのだったが、そういう申し入れがほとんどなかったのも、『酒つま』らしい、のひと言につきるだろう。
 一方で、予想もつかない広告主が現れ、この小さな誌面を使ってくれることにもなった。
 号数としては、5号あたりから、広告主のバリエーションがさらに増え、現在につながる、面白い流れができていく。
「へんな雑誌だよなあ、やっぱり」
 私は、バックナンバーの広告ページをめくりながら、思わずにやついてしまうのだった(このお話、次号へ)。

(「書評のメルマガ」2009.9.17発行 vol.424 [読書の準備 号]掲載)

第77話 酒つま広告小史 2

 『酒とつまみ』にいかなる広告が掲載されてきたかを、前回から2回にわたって振り返っている。
 第6号あたりから、広告主のバリエーションがぐんと増えるのだが、ちなみに第6号では、「早稲田古書店街」や、「村田順子さん」の広告が初登場している。そして第7号。表2は「ふじもと歯科診療室」と「ほねつぎ是政整骨院」。この2枚看板はその後の8号、10号でも我らが『酒つま』の表2に君臨した。
 7号に初登場したのは札幌の館浦あざらしさん主宰の「海豹舎」と、もうひとつが「ZONE」。「特殊美装、洗浄剤・消臭剤オーダー製造」の会社だそうで、『酒つま』を応援してくださる方々の幅の広さに、一瞬うろたえたのだった。
 そして第8号。創刊号からお世話になりっぱなしの「高円寺文庫センター・信愛書店」が初登場。「海豹舎」は『北海道いい旅研究室』の最新号がしばらく出ないことを告知するという、実にユニークな広告を出稿した。
 「大日本生ゲノム」の広告掲載が始まるのは第8号で、次の第9号では、「日本スローコメディ協会」製作の表3一面広告を掲載。タイトルは「朝酒新聞」。トップニュースは日露酒脳会談なのだが、私は、新聞のタイトル下の小さな広告欄に爆笑した。「飲酒運転防止に」というサブキャッチの後にあったコピーは、「あなたの飲酒代行します」というものだった。
 これを見た瞬間から5分ほど、私は笑い続けていた。ようやく笑い止んで、〈人の代わりに飲んで、その人から金もらえるのか〉と思った瞬間からまた、5分笑った。同協会製作の「朝酒新聞」は、最新の12号まで変わらず掲載されている。
 第10号になると、小誌名物連載「つまみ塾」の瀬尾幸子さんのご著作の広告のほかに、「森本暢之/たらすな」さんの広告、「日比谷・酒と本を愛する会」の広告、11号では「吉田戦車/伊藤理佐」さんの広告、さらには「中村よお」さん、「竜巻竜次」さんの広告も初登場。個人の方からの広告が着実に増えている。
 そして最新の12号では、「本町靭」さんの個人広告に加え、「情報センター出版局」から『テレビ鑑賞家宣言』、「集英社」から『今宵も酒場部』と、書籍広告も増えた。実は私も自著2冊を紹介する広告を掲載しているのだが、これは誌面にもあるとおり自腹広告。ちゃんとお金を払います。
 自腹広告といえばもう一人、小誌カメラのSさんがいる。創刊号より『酒とつまみと男とおんな』という連載を手がけてきたが、なぜか行き詰まり、第8号からは『酒とつまみとハゲとボイン』とタイトルを変更。装いも新たに新境地の開拓に挑んだが、なぜか行き詰まり、第10号で2分の1ページを使って連載休止の言い訳を掲載。
 その後一念発起して第11号からの復帰を目指したが、やはり行き詰まり、すでに言い訳もしていることから一切の担当スペースを喪った。そして12号までの約1年、連載復帰への執念を燃やしたのだが何も出てこず、とうとう自ら金を出すことを条件にスペースを確保した。つまりは自腹広告。広告に込められたメッセージを端的に言うと「お仕事ちょうだい」。こんな感じだ。
 いやはや『酒つま』の広告の歴史は短いが、そこにはなにやら感慨深いものもある。そろそろ、Sさんと私のもとには、新生『酒とつまみ』社から広告料の督促が来る頃である。

(「書評のメルマガ」2009.10.9発行 vol.428 [お仕事ちょうだい 号]掲載)

第78話 仮式会社から株式会社へ

 『酒とつまみ』12号は、2009年9月18日午後、印刷所より納品された。また暑い時期の納品だ。これは厳しいが、避けて通れない。
 大きなミスはないか。最新号の束を雑居ビルの3階まで運び上げていくとき、必ず気になるものである。それで、だいたいは息の切れやすい私が先に梱包を開け、パラパラとめくったりするのだが、今回は最初に、背表紙を見た。
 下のほうに、「酒とつまみ社」と印刷してある。この文字自体は創刊号から印刷されていたものだが、ひとつだけ違うことがある。最初、名前の下に入れていた「(仮)」という1文字が取れたのである。
 創刊号から11号まで、発行元は大竹編集企画事務所。背表紙に「酒とつまみ社」と入れたのは洒落であって、事実そこに、(仮)と印刷して、これはなんですかと聞いてもらえると、ええっとまあ「仮式会社」ということで、一応は後仮(あとかり)っていうことなんですが、などと嬉しげに話したものである。
 それが、今、取れた。私は、奥付を見る。発行元は、株式会社酒とつまみ社となっている。編集発行人は、W君。
 創刊からちょうど丸7年経過して、雑誌はたったの12号までしか出ていないが、大きなことが変わり、新しい時代になったのだと、はっきり思った。
 中身は、相も変らぬバカ話のオンパレード。前号からほぼ1年を経ての、ようやくの刊行となった。
 銀座コリドー街の『ロックフィッシュ』に明るいうちから出かけ、まずは納品。そしてみんなで、ハイボールで乾杯する。
 うまい。1年ぶりに出た最新号を祝うハイボールは、ことのほかうまかった。
 この12号を販売しながら、酒とつまみ社ではすぐに13号の準備に入ることになる。私の役割は、まず、自分の担当するページを滞りなく進めておくこと。それに尽きる。時間がかかるのは『山手線一周ガード下酩酊マラソン』で、12号のときもひどく時間がかかった。
 だから、まずはガード下。とにかくひと駅でも始めてしまわないと先が続かないから、オータケを引っ張って、みんなで行こうという話になった。
 そして、まだ納品関連の仕事も全て終わってはいない9月下旬、W君、N美さん、Sさん、私の4人は、連れだって代々木の駅へ降りた。
 さあ、ガード下マラソン、原宿を目指しますよお……。
 原宿へ向かう途中の住宅街を4人して歩く。ガードもなければ店もない住宅街。まあ、しょうがねえや。と思いながら見上げると、きれいなきれいな月が出ていた。

(「書評のメルマガ」2009.11.7発行 vol.432 [我が道を歩む 号]掲載)

第79話・最終話 二日酔いにて役に立たず

 『酒とつまみ』12号が出てしばらくは、年末へ向けての雑誌の仕事やら、単行本の仕事やらで、忙しく過ごした。11月も半ばになって、やっとひと息ついたのだが、その頃には、12号の営業仕事は、すでに落ち着いていた。
 そして12月初旬。連載をしてくださっている松崎菊也さん、すわ親治さん、石倉直樹さんがそろって舞台に立つ『はだかの王様』というライブが開催された。毎回、風刺と音楽とで楽しませてくれるライブだが、私たち『酒とつまみ』は、最新号が出れば必ず、会場で売らせてもらってきた。
 12号の完成が、前回の9月の公演に間に合わなかったため、この会場で売らせていただくのも、ずいぶんと久しぶりのことになる。元気に売り子をしよう。と、当初は思っていた。
 でも、できなかった。理由は酒だ。前日、冷たい雨が降る日比谷を歩いていて、ああ、飲みてえ、と思ったのが午後4時半。それから4軒で、上がりが朝5時、ということになってしまった。
 途中、酔っているせいか、なかなかうまく帰れない事情もあって、帰宅は7時を過ぎていたか。少し寝て、すぐに起きる。ライブの出演者やスタッフの方たちに差し上げる酒を買ってから会場に向かわなくてはいけない。
 駅前の大きなスーパーで、けっこう上等なブレンデッドのスコッチを買う。それを肩から下げるカバンに入れ、電車に乗り、膝の上にカバンを置いて、ああ、これでなんとか間に合うなとため息をついたら、両サイドに座っている人が同時に私を見た。酒臭いんだ。
 ああ、これはまずいなあ。できるだけ息をしないようにするが、ああいうときは、なんというか、体全体がアルコールを発散しているみたいだ(たぶん、間違いない)。で、とても申し訳ないのだが、ひとまずは乗っていくよりないので、心の中でゴメンゴメンと謝りながら電車を乗り継ぎ、会場に着いた。
 しかし、酔いはいよいよぶり返す感じなのだ。まったく、使い物にならない。昼の公演であるから、お客さんで1杯召し上がってから来ている人というのは、想定にしくい。つまり、ちょっと飲んだだけですぐにそれとわかる会場に、アルコール漬けみたいな人間がひとり入り混むのだから、これは問題だ。私はできるだけ、売り場を離れていなければならない。
 なんのために来たのか、まるでわからない。私は、どうも、いつも使い物にならない。
 それでも、WクンもSさんも一緒だから、販売自体は順調で、その日も、33冊も売れた。嬉しいなあ、と思う。いつものことながら、これは本当に嬉しいのだ。
 そして打ち上げ。赤坂の居酒屋で出演者の方々、プロデューサー、スタッフ、みなさんと同席をさせていただく。どうにも調子が悪くて最初の生ビールを吐きそうになるのだが、2杯めで元気になり、そのあとは芋焼酎をお湯割りでビシビシと飲む。
 用事のある人から先に、三々五々、帰っていく。最後には、主催者のお二人と松崎さん、私とWクンが残った。もう、だいぶ、飲んでいる。でも、いつまでも酒が飲めるような気もしてくる。私も、遠慮なしに喋る。
 『酒とつまみ』を始めてからの7年。いや、創刊の準備をしていた頃から数えるとちょうど8年、ずいぶん飲んだなあ……。松崎さんは、まだ酒つまが影も形もなく、あるのは話だけ、こんなバカをやろうかと思います、という決心しかなかったときに、「その話、乗った」と言ってくださったのだった。
 それ以来の連載。創刊2号には、すわさんを紹介してくださり、後に石倉さんにもイラストを描いていただけるようにしていただいた。こんな私に、ずいぶんと長く、お付き合いをいただいている。
 生キャベツに細切りの塩コブをふりかけ、ごま油のドレッシングをかけただけの1品が、ばかにうまい。丼ばち1杯で180円。ますます、うまい、と思う。
 とにもかくにも、今日という日までやってくることができた。それで良しとして飲もう。そんな気分になってくれば、腹の中に、ぽっと火が点いたような温かさを感じる。
「毎号、創刊号のつもりでつくったらいいよ」
 松崎さんが、私に言ったことばだ。できたばかりの創刊号を肴に1杯飲んでいただいたときだった。
「これ、ひょっとすると、相当、おもしろいことになるぞ」。
 そうもおっしゃった。
 私はまた、思い出す。そして、『酒とつまみ』を始めたからこそ、この出会いがあるのだと、思いを新たにする。
 たくさん、たくさん、飲んだ。打ち合わせと言って飲み、取材と言って飲み、入稿祝い、校了祝い、刊行祝いと言っては飲み、営業がうまくいけば書店さんの近くで飲み、『酒つま』を置いてくださるバーへ納品に行けば当然そこで飲み、深夜、自宅でひとり、読み返しては、また、飲んだ。それが、とても楽しかった。
 今後も、そんな日々が続いていくことだろう。

(「書評のメルマガ」2009.12.11発行 vol.436 [これまでとこれから 号]掲載)



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