■「酒とつまみと営業の日々」第21話〜第25話 ■

第21話 紅一点Y子・天性の営業魂を発揮する

 2004年1月12日。待望の『酒とつまみ』4号が印刷所から納品された。特集は創刊号から連載してきた『中央線で行く東京横断ホッピーマラソン』の最終回。集団的押し掛けインタビューは『酒とエロとみうらじゅん』。他にも『パック酒・徹底比較大研究』や『ビール券紙相撲初場所』など、毎度のバカ企画を詰めこんだ1冊は、よっしゃ、5000部行ったるで、と、なぜか関西弁で気合いを入れたくなるくらい頼もしく見えた。
 いつものように、編集Wクン、カメラのSさんと手分けをしながら書店を回り、3号の返品を引き取りつつ最新の4号を納品する日々が始まった。3号の状況は、順調だった。70冊を委託した八重洲ブックセンターでは61冊が売れ返品はわずかに9冊、4号も初回で50冊を持ち込むことができた。また、立川のオリオン書房ノルテ店など、大型書店の新規開拓もでき、連日、書店回りをすることが楽しくてならなかった。
 しかし、そうそううまくいくものではない。3号から取引を始め、10冊を委託していた阿佐ヶ谷の芙蓉堂書店では、8冊の返品を持ち返ることになった。売れたのは2冊だけ。ここは、小誌のデザイン・イラスト・表紙の絵まで一切を担当しているIさんが教えてくれた店で、小さな書店だが期待していただけに店主の浮かない表情に身も縮まる思いだった。しかし店主は、私が持参した4号を10冊手に取り、店のもっとも目立つ場所に平積みすると、Iさんが作成した手製のポップも置いて、にこりと笑ったのである。
「もう1回、頑張ってみましょう」
 小誌の横には10日に発売されたばかりの『文藝春秋』が平積みされている。なんと言っていいのか分からず、ただ頭を下げて、私は書店を後にした。3号2冊分の売上が入った封筒が、ずっしり重たく感じられた。
 編集部紅一点Y子嬢も活躍した。
「私にも営業させてください!」
 2月のある夕方、編集部からの帰りがけに、彼女は元気よく言い放って出て行った。六本木・青山方面を攻めるというので、自己紹介や担当者の呼び出し方などを教え、見本誌を持たせた。しかし、やはり営業は簡単ではなかった。
「すみません、全滅でした」
 翌日、Y子嬢は落胆した表情で詫びた。無理もないよ、初めてなんだから。気にしなくていいよ――。私はそう言って労ったが、ここからがY子嬢のすごいところだ。高校時代はバレー部のエースだったという体育会系の血が騒ぐのか、彼女は諦めなかったのである。
「今夜も回ってみます!」
 そう言い残して編集部を出たY子嬢は、中央線に的を絞り、夕方からの短い時間に、水道橋、中野、三鷹、国分寺と回って、なんとその日のうちに、3号4号合計で40冊の委託に成功したのである。右も左も分からないながら飛び込みで即決する営業力は、天性のものと思え、編集部は俄然、活気づいた。
「Y子ちゃん、すごお〜い!」
 快挙にも鼓舞されないのは、そう、Sさんである。

(「書評のメルマガ」2005.2.7発行 vol.199 [ 新しいはじまり 号] 掲載)

 

第22話 買って配ってくれる応援団に感謝

 Y子嬢の頑張りで『酒とつまみ』4号は少しずつ販路を広げて行った。取り扱い書店が増えるたび、編集Wクンがホームページの書店リストを更新する。少しずつだが、その数が増えていくのを見るのは何より嬉しかった。インターネットに暗い私だが、想像するに、ネットを通じての口コミが直販ばかりでなく、書店の店頭での販売にも相当に貢献していると思われた。アクセスカウンタは、日記形式で書いている独占酒記の更新が遅れまくって(2005年3月現在も昨年5月を書いている途中)いるにも関わらず着実に増えつづけていたのである。
 連載陣のみなさんにも助けられた。ほとんどボランティアで寄稿していただいているにもかかわらず、5冊、10冊とまとめて買い上げてくれ、それを友人知人に配布してくれた。ここからもまた、着実に、読者が増えて行ったことと思われる。
 特別な思い入れで力を貸してくれた人たちもいた。高校の同窓生であるMさんは、自らのクラス会に小誌を持ち込んで完売。後日、売上金を届けてくれた。Mさんのクラスにも私の知り合いはいる。小っ恥ずかしい気もしたが、全部売れたよと言われれば、それは何より嬉しかった。
 飲み仲間のAさんも強力だった。街を歩いていて、本屋に『酒とつまみ』を見つけては3冊、5冊とまとめ買いをしたのである。書店の店員さんから「同じもの5冊でよろしかったでしょうか?」なんて訝しがられてもAさんは一切意に介さず、まとめて買っては別の飲み仲間に配り、宣伝してくれた。Aさんの奇行ともいうべきこの行いは、実は今も(6号発売後)続いていて、頭が下がります、ホントに。
 そして極め付けはSさん。連載陣の一人である佐藤さんのお店、銀座「ル・ヴェール」で顔見知りになった人だ。温厚で、きれいに飲む人、一見して『酒とつまみ』の対極にあるような紳士だが、この人が、実は創刊号発売直後から熱烈に応援してくれた。ホッピーマラソンなどという奇ッ怪なマラソンをひた走る私に、「本当に、身体にだけは気をつけるんだよ」と声をかけてくれたのも、Sさんが初めてだった。そればかりか、Sさんは毎号発売になるたびに、「ル・ヴェール」に置かせていただいている中から10冊をまとめて買い上げ、やはり友人知人に配った。ありがたい限り。その行為に甘え、店でSさんにお会いする機会があれば必ず、御礼を口にしてきた。
 Sさんの毎号10冊買い取りについては、4号を発売した後になってから、ひとつの事実が発覚した。買い取った10冊の配布先について、ある日Sさんは、こんな話を聞かせてくれた。
「僕はね、あの雑誌は、毎号別の人に配っているんですよ。酒好きの知り合いが多いからね。関西出張のときはあの人、九州ならこの人ってね。だから出張するときの僕のカバンには、必ず『酒とつまみ』が入ってる(笑)」
 それ以来私は、地方の書店から『酒とつまみ』ついての問い合わせの電話がかかってくると、ひょっとしたらSさんが配った1冊が、その電話のきっかけになったのでないかと思うようになった。

(「書評のメルマガ」2005.3.13発行 vol.205 [ 古書展ニューウェーブ 号] 掲載)

 

第23話 息上がる5号納品・体は大丈夫かの頃

 『酒とつまみ』4号もひとまず好調となれば、5号の編集製作を何より急がなくてはならない。4号の出荷が1月半ばだから、なんとか5月に、というのが当初の目標だった。しかし目標達成できないのがクセみたいになっている小誌のこと、4月後半にさしかかると、発行延期を決断せざるを得なくなった。とかなんとか言ってるが、決断したのは私ではなく編集Wクン。なんとか頑張ろうな、などと言いながら一向に作業の進まない私の状態を見ての判断なのであった。申し訳ない。
 そして5号が印刷所から納品されてきたのは、当初の予定からほぼ3週間遅れた平成16年6月の23日のこと。憂鬱な納品である。
 以前にも書いたが小誌の仕事場はエレベーターなしの雑居ビルの4階にある。わずか5000部とはいえ、これを手作業で4階まで上げる仕事量はかなりのもので、配送担当のオジさんも(若い人3人くらいで来てくれると助かるのだが)ヒーヒー言っている。そして誰よりもヒーヒー言うのが私だ。Wクンは私より若いし、サッカーの試合などにも出ているから丈夫(※編集部注:実は納品日の3日前、Wはサッカーの試合で右膝靭帯損傷。何の役にも立たなかった……)。デザインのIさんも日頃から体調管理をしていて、私より先輩なのに痩身でまだまだ体が動く。最年長のSさんはそろそろ大バテしそうなものだが、ラグビー部で鍛えた体に加え、カメラマンとして日々重たい機材を担いでいるからか、これまた私に比べたらエライ丈夫。
 梱包を4つほど抱えて階段の昇り降りをするのに、2往復目にはすでに息が上がっているのが私。ご年配の配送担当者さんは、腰に来ちまったななどと言いながら、あんまり真剣に往復しないなんてケースもある。
 私は肩身が狭い。何度か往復するうち、私だけが周回遅れになり、それでもゼーゼーと喉を鳴らすから、もういいよお前は、ちょっと休んでれば、みたいな雰囲気にもなる。汗が出る。息が上がる。二日酔いだからなんだけれど、それにしてもこの体調やいかに、と思わんでもないのだ。私とて少年野球に打ち込み、高校時代はヘタクソだったけれどサッカー部に籍があった身。情けない。
 結局、納品で役立たずぶりを遺憾なく発揮した私は、読者ハガキの挟み込みに精を出すことになるのだが、この頃になるとアラ不思議。息は整い、汗は引き、心なしか喉も渇いているような粋な気分。こっそり冷蔵庫からビールを取り出すやプシュ! おお、納品おめでとうなどと叫ぶ。まったくこの男は。そんな視線も感じるけれど、そこはほら、『酒とつまみ』であるからして、みんな飲むわけなのである。
 だから、いけない。みんなは体が動くからいいが、私の場合、本当に反省が必要なのである。なにしろ、このときの絶不調はその後も続き、2週間後、ほぼ10年ぶりの血液検査の結果、γ-GTP535を通告されたのである。500くらいの人たくさんいますよって、800くらいの人に言われると情けないってことも、この頃知ったのだった。

(「書評のメルマガ」2005.4.12発行 vol.209 [ 春は路上で 号] 掲載)

 

第24話 新規に追加、嬉し涙の頃

 2004年6月23日。『酒とつまみ』5号は納品された。巻頭特集は「へべれけサスペンス劇場」、押し掛けインタビューの出演は高田渡さん。魚肉ソーセージの研究や立ち飲みマラソンなどのバカ企画に加え、強力連載陣のオモシロ原稿もそろった。嬉しい。まことに嬉しい。で、さっそく営業が始まる。思えば創刊は2002年の10月。3カ月に1回の刊行なら、この頃すでに第7号が出ている頃合なのだが、いやいや、5号なのである。2回すっ飛ばした勘定、その間何をしていたかといえば、飲んでいた、と答えるしかない。
 それはともかく、営業である。創刊以来、納品の当日に届ける先への荷造りを終え、編集部一同は手分けして回るのだ。まずは銀座。ルヴェール、ロックフィッシュというバー2軒を回り、御礼を言いつつ納品。少しだけ飲んで、そのまま中央線に乗って目指すは西荻窪の信愛書店、どさりと100冊置かせていただいた後は隣駅の吉祥寺でハバナムーン、ウッディ、ファーストサークル、のろ、といったバーを回る。この日だけで納品数はおよそ300冊になる。創刊号の発行部数が500冊だったことを考えるとウソみたいだが、本当なのだ。
 翌日もその次の日も、最新号の納品を知らせ、注文を取る電話営業。忙しい。その忙しさがまた楽しい。そして26日土曜日にはまとめて荷造りをする。そのまま発送するのは地方の書店さん。他に山となった梱包は、翌日から配り始める都内近郊の分である。
 26日の夕刻は編集Wクンと一緒に新宿にある模索舎へ納品。27日は立川のオリオン書房(ルミネ店、ノルテ店)から国立の増田書店を回り、28日月曜日は自家用車にどさりと本を積み込み、府中の啓文堂から始まって渋谷の啓文堂、旭屋、神保町書泉ブックマート、八重洲ブックセンター、丸善日本橋、旭屋銀座と回って、某出版社での撮影に立ち会い、それが終わって高田馬場の芳林堂へ納品。さらに29日は、三鷹啓文堂の後で一路埼玉を目指し、旭屋志木店、旭屋川越店、ジュンク堂大宮店を回って一度は編集部へ戻り、自宅への帰り際、阿佐ヶ谷の芙蓉堂書店に寄った。
 この店は、前回の納品時、もう一度だけ試しみようと温かい声をかけていただいた店。今回ダメなら取引中止も覚悟しなければならなかった。ところが、第4号は10冊納品したうち9冊が売れ、残りは1冊だけであった。
「やっとできたの。次の号はまだかって楽しみに待っているお客さんがいてねえ」
 店主の言葉である。これがあるから営業回りはやめられない。車をいったんは自宅近くの駐車場に戻した後で、改めて飲みに出たほど嬉しかった。
 7月に入ると追加注文や新規取り扱いも出てくる。あゆみBOOKS新百合丘店でさっそく10冊の追加。千葉のときわ書房では本店で追加、京成八千代台店での新規取り扱いが始まり、旭屋渋谷店で追加、池袋店で新規。月末には、古書店である「古書ほうろう」にも20冊、地方ではジュンク堂の仙台店に50冊入った。いつに代わらぬ電話とファックスによる営業だが、北海道大学生協への営業は印象深い。置くのはいいが、何冊くらいにしましょうかと言ってくれる担当者の方に、私は迷わず40冊、と叫んだ。生協の販売所の名前はその名も「書籍部クラーク」。少年よ大志を抱け、のクラーク博士の名が冠してあるのだ。だから40冊。酒つまも、ビー、アンビシャス! なのである。
 担当のTさんは言った。
「返品、できるんですよね?」
「はい、もちろんですとも」

(「書評のメルマガ」2005.5.16発行 vol.213 [ 春の種まき 号] 掲載)

 

第25話 広がる広がる酔っ払いの輪

 第5号の出荷・納品・返品・請求作業も一段落してきた7月下旬。F社の編集者Yクンから連絡をもらった。3号発売の頃だったか、「おもしろい雑誌出しましたね、一緒に飲みましょうよ」という意味の、端折っては申し訳ないほどの長い手紙をくれた人。そのときも飲んだのだが、今度は友人をお連れになるという。嬉しいかぎりだ。が、若者を相手にすると怪しい態度になってしまうカメラのSさんを同行するとせっかく来てくれた若き人々に本当に申し訳ないことになるやもしれずと密かに相談し、当方は小生と編集Wクンのふたりで出掛けることにした。
 集まってくれたのは、Yクンのほかに、編集者が2名、出版社の営業の女性が1名、お世話になっている書店さんの担当者もいて、これには驚いた。場所は浅草橋の加賀屋の2階。私がこの近辺に仕事場をもってから11年になるが、その間、ぽつぽつと、ある時期は毎晩のように通った店。もちろんホッピーを飲む。がぶがぶと飲む。
 若い人たちの熱気はいいもんです。と噺家口調になりたくなるくらい楽しかった。デコを平手で打って、ありがてえや、なんて呟きたいくらい、賑やかな楽しい夜になった。これもまた、『酒とつまみ』なんてヘンテコな雑誌を作ったおかげだよねえ、と、帰りの電車で二人きりになったとき編集Wクンの横顔を見ながら思ったもんです、はい。
 でもまあ、酒飲み雑誌をおもしろいと言ってくれる人というのは、やはり酒飲みなんである。月はかわって8月上旬。連載陣のひとり南陀楼綾繁さんから、小誌に一方ならぬ肩入れをしてくださっている神戸・海文堂の福岡さんが上京されているので会わないかというお誘いをいただいた。
 日曜日の昼。『古書ほうろう』にて待ち合わせ、当然、昼から飲む。福岡さんは奥様とご長男もお連れになり、阪神タイガースのTシャツ姿で「昼から生ビール」をぐいぐいと飲む。南陀楼さんの奥様も、神保町は書肆アクセスの畠中さんも、おお、気がつけば「女体の詩人」(デザイナーのIさんです)もいて、賑やか賑やか。福岡さんのご長男、これを機に東京で生活を始めるのだとか。おお、青年よ、大志を抱け、とばかりに酒を勧めると、お父様に似て、バカが勧める酒を断らない。いい青年だよ、本当に。
 飲み終わって、神戸へ帰る福岡さん夫妻と一緒に谷中を歩いて日暮里駅へと向かう。昼のビールが少しきいて、体が熱い。いや、昼から集まって飲んで笑って、また会おうとばかりに手を振る人々の姿に、胸の中がぐぐっと熱くなっていたのだった。

(「書評のメルマガ」2005.6.13発行 vol.217 [ 文学と食と酒 号] 掲載)



記事もろもろ 第16話-第20話 第26話-第30話