■「酒とつまみと営業の日々」第26話〜第30話 ■

第26話 飲んでないで働けって!

 『酒とつまみ』第5号の営業活動は順調だった。本は滞りなく納品できていたし、どっさりと返品が戻ってくることもなかった。本来ならこのあたりで、もっと抜本的な営業のテコ入れなどして然るべきなのだろうが、然るべき判断など金輪際できないのが、私のちょっとした特徴なのでもある。だから、注文があれば荷造りして送るなり、持参するなりを繰り返し、思いついたように新規書店の開拓に行くという具合だった。
 が、5号発売から6号までの間は、なんだかとってものんびりしてしまったのだった。5号が出たのが6月の末だったが、今当時のメモを見返しても、7月、8月の2ヵ月間は、営業はちょぼちょぼやるものの、取材・編集となると まったく手を付けていないのであった。創刊時にはできれば3ヵ月に1回は出したいと思っていたのだけれど、本が出た直後の2ヵ月間なにもしないのでは、3ヵ月後に次号が出るわけがない。
 何をしていたのか。暑いから、ビールを飲んでいたのだ。そして、10月にもなれば、今度は秋風が心地よいからビールや焼酎を飲んでいたのだ。私だけのことではない。カメラのSサンも、編集Wクンも同様である。特にSさんはこの秋に転機を迎えていて、なんだかんだいいながらドバドバと、とにかく大量に飲酒していた。まあ、小誌編集部としては酒を飲むことがすなわち、企画立案であり取材でもあるのだから、毎日飲んだからといって、その一事をもって責められるというものでもないのだが、飲み方がいけない。
 たとえば11月初旬の某日。小誌連載『つまみ塾』の試食・撮影会で昼間から通算10時間飲みを敢行した翌日は、仙台で仕事があった。夕食時に同行の編集者さんとちょいとばかりというか、ビールをグビグビ飲み、帰りの新幹線の車中でまたビールを飲み、前日のダメージもあるっていうのに東京駅から有楽町へ直行して『ロックフィッシュ』に立ち寄る。もう、この時点で、企画も立案できないし、取材もヘッタクレもあったもんじゃない。
 そしてもうひとつ。ああ、そこには、カメラのSさんがいたりするんである。決してお待ち合わせなどではない。よーよーよー、オツカ(お疲れさん、の意)なんて言いながら、Sさんももう出来上がっている。時刻は12時過ぎ。そろそろ終電なんだが、出会ってしまったが運の尽き。ハイボールを2杯飲んだところで終電はなくなり、タクシーにするんですかと聞くと、そんなもったいねえことするくらいなら始発まで飲む、ときた。結局始発までなんとか付き合って、早朝の新橋まで歩くときにはもうフラフラ。アイデアなんぞひとつも浮かばないし、浮かんでも忘れてしまうし、もちろんこの間、校正紙を読むでもなく、原稿だって1文字もかかない。出ないわけですよ、最新号が。
 このようにして、2004年の秋は更けていったのだった。

(「書評のメルマガ」2005.7.16発行 vol.221 [ 中井正一再読 号] 掲載)

 

第27話 とりあえず6号雑誌になったのだ

 飲みまくりながらダラダラ進行した『酒とつまみ』第6号の編集作業は、12月上旬に大詰めを迎え、なんとか年内納品のための最後の入稿日をクリアした。が、こんなときに限って事故というのは起きるもので、12月ももうすぐ終わりという段階で届いた本に、大きなミスが見つかった。痛恨の刷り直しである。費用面で苦しむことにはならずに済んだのだが、配本は年を越えた後のこととなった。
 そして2005年1月7日午後1時。待望の創刊第6号が届けられた。さっそくみんなで手分けをして、読者ハガキやスリップを挿入していった。納品当日のうちに配本するのは銀座、吉祥寺のバー数軒と、これもまた数軒の書店さん。創刊以来ほとんど変わらない納品当日の配本を、この日も無事に済ませた。翌日は土曜日だったが、地方・小出版流通センターに初回注文の400部を届けた。若い従業員の人は、土曜日の午後だというのに「お待ちしていました」とにこやかに対応してくれた。嬉しい。夜は南陀楼綾繁さんと合流して、編集部近くの加賀屋でホッピーを飲みつつ打ち上げ。これもまた、楽し。
 そして日曜日。寒い日で、車で動こうかとも思いながら、なんとなく電車とバスで多摩・埼玉地区の配本に向かった。立川、国立、と回って、国分寺駅へと戻り、西武線で本川越へ出て、そこからJR川越駅まで歩くのだが、風が刺すように冷たく、帰路はJRで高麗川経由・八高線で八王子へ出てから中央線で戻るという、なんとも遥かな感じの経路になったのだった。
 この後数日間は電車や自家用車を使った配本に追われたのだが、配本だけでなく、集金や返品の受け取りなどもあるから、なかなかにたいへんな作業である。しかも弊誌の場合、夜になってから酒場への配本をしながら店を回っていくことがあり、深夜まで店を開けている書店さんに伺うときには、担当者が酔っ払っていて金銭の授受には不適切な状態になっていることも少なくないのだ。そんな場合、配本だけ済ませていったんは引き返し、後日また改めて、それまでの号の精算(集金)に伺うのである。
 1月13日の、西荻窪信愛書店さんが、このパターンだった。毎号の納品日当日のうちに商品をお届けしているお店だが、この1月7日、配本の晩の私は、ヘロヘロだった。そこで、日を改め、13日夜の集金となったわけだが、そのとき、こんな話を聞いた。
「4号も5号もね、出だしは良くなくてね。3号雑誌とか言うでしょ? でもね、気がつくと売れてるのね。単行本も楽しみにしていますよ」
 このとき初めて、ああ、6号まで来たんだなあと、改めて思った。同時に、「売っていただいているのだ」とも思った。
 バカ話ばかりの雑誌を6号まで出してきたこと自体がどうかしているような気もしたけれど、初の単行本出版もすでに決意してしまっていた。第6号には、自社広告まで掲載していたのだ。創刊号から連載した「ホッピーマラソン」にボーナストラックをつけた内容で、キャッチフレーズは「あんた死ぬわよ」。やっぱり、どうかしている。

(「書評のメルマガ」2005.8.13発行 vol.225 [ 勝手に両思い気分 号] 掲載)

 

第28話 酒つま編集部・全国流通を夢見る

 2005年の1月。どうにかこうにか第6号まで漕ぎ着けた『酒とつまみ』だが、取り扱ってくださる書店の数が増えていくにつれ、編集部はそれなりの悩みも抱えることになった。配本に時間がかかるのである。取り扱い書店数は全体で80店を超えたが、地方・小出版流通センター経由で配本される書店数は都内・近郊合わせて10店舗余りであり、残りの大多数の書店は直接配本先である。
 足を運べるところには出向き、遠隔地には宅配便を利用する。たいへんなのは、こうした少部数の直接取引雑誌の場合、書店サイドの担当者が一人に限られていることが多く、最新号を届けるにはまず、このたった一人の担当者と事前に話をする必要があることだ。 話をして、前回納品分のうち何冊が売れ、何冊が返品か、さらには最新号を何冊納品すればいいのかを確認する。そうしておけば、最新号とその納品書、デザインIさん作成のPOPなどと一緒に、前回までの販売分の請求書を同時に送ることができる。つまり、郵便切手代を節約することができるのだ。
 たかが80円と思われるかもしれない。しかし、仮に70店舗に請求書を送るとしたら、切手代は5,600円。『酒とつまみ』の直接取引書店への卸値は1冊266円だから、切手代は単純に考えて20冊以上の売り上げに相当するのである。だから、一軒一軒、電話をかけ、手短かに話をし(ダラダラ話すと電話代も馬鹿にならない)、万事効率よく進めようと、がんばるわけである。
 だが、ときには泣きも入る。私を含め、編集部のスタッフにはそれぞれ、食べていくための本業がある。『酒とつまみ』のアイデアを出そうといっては飲みにいき、打ち合わせで飲み、取材で飲み、原稿を集めたり書いたりし、デザインをして、ようやく校了したときには、本業の領分は『酒つま』に、かなり浸食されている。それに加えて配本でまた時間が取られる。これでは、スタッフ全員、食っていくことができなくなる。だから泣きが入る。
「地方・小さんにもっとたくさん入れられると楽になるんだけどなあ」と私が言えば、「せめて半分くらいでも」と編集Wクンが答える。その横で、そうだそうだとため息をつくのは、カメラのSさんだ。しかし、Sさんの場合、その態度には実は、気持ちがこもってはいない。なぜなら、Sさんが担当している書店数は、私やWクンとは比較にならないくらい少ないからである。
「地方・小に頼んでさあ、全国に配ってもらえば?」
 Sさんの、あまりにも暢気な言葉を聞き流して、私は再び電話へと手を伸ばしながら、ふと、その手を止めた。
 全国流通か……。そんな日が、いつか来るのだろうか。来たら、いいよなあ〜!

(「書評のメルマガ」2005.9.16発行 vol.229 [ 「厚着本」の謎 号] 掲載)

 

第29話 全国流通決定で、涙、涙。

 第6号の配本・発送作業に追われていた2005年1月、私は新たなホッピーマラソンの取材を開始した。創刊号から4号まで連載した中央線編に加え、別の路線でホッピーマラソンを走ろうというのである。その理由は簡単だ。ホッピーマラソンを単行本化するという遥かな夢を抱いた直後、中央線編では分量が少なすぎて本にならないことが発覚したからだ。それで、週末の空いた時間を使って、コツコツと少しずつ、ホッピーを飲みまくるマラソンを始めたのだが、どうやって本にするのか、どうやって販売するのか、何も見えていなかった。ただ、本にしたい。その気持ちがあるだけだった。
 そんなとき、地方・小出版流通センターのMさんから電話をいただいた。最新号200冊とバックナンバーの追加注文である。私はいただいた電話を借りて、心の中にあることを思い切って聞いてみた。
「ホッピーの連載を単行本にしたいのですが、どんなものでしょうか」
「はあ、どうでしょうねえ」
 Mさんの返事はどう解釈したらいいかわからない。
「また社長に怒られてしまいますかね」
 単行本なんて10年早いよと言われても、それはそれで仕方がないなと思っていた。しかし、Mさんの答えは予想を裏切った。
「そんなことはないですよ。うちの社長は毎号楽しみに読んでますよ」
「ほ、本当ですか?」
「ええ。単行本の件も、僕から話しておきますよ。じゃ、追加、お願いします」
 信じられない話だった。創刊号を持ち込んだ日、「道楽ならやめたほうがいい」と私を軽く諌めた川上社長の顔を思い出していた。
 そして、自家用車に追加分を載せて納品に行った1月末の夕方。私は、創刊号を持ち込んだ日と同じ喫茶店に招かれた。
「そろそろ、正式に契約をしようか」
 川上社長はそう言って、書類を私に差し出した。契約をすれば、同社を経由する部数はこれまでの倍以上になり、全国に流通される。特約店には事前にチラシも撒いてもらえるし、全国のどこの書店からでも、お客さんの注文があれば本を届けることができる……。漠然と夢見ていた全国流通が始まるのだ。
 私は、いただいた書類を持って車に戻り、外堀通りを、まだ陽の残る西の空に向かって走った。信号で停車し、助手席に置いた封筒を眺めていたら、急にこみ上げるものがあって、大袈裟に過ぎるとは思いながら、少しだけ泣いてしまった。
 車を自宅近くの駐車場に停めたときにはすっかり日も暮れて、ひどく寒かったが、そこからバスで吉祥寺へ出た。『つまみ塾』を連載してくださっている瀬尾幸子さんと、遅ればせながらの打ち上げをすることになっていた。待ち合わせ場所のWには私が先に着いた。今日あったことをオーナーのTさんに話す。
「それ、すごいことじゃないですか」
「ええ、そうなんですよ、嬉しい」
「おめでとうございます。本当に良かったですね。そんないい日に来ていただいて、ありがとうございます」 
 再びこみ上げてくるものを必死で抑えながら、私は、最初のビールを一気に飲み干した。

(「書評のメルマガ」2005.10.11発行 vol.233 [ やっぱり秋は本イベント 号] 掲載)

第30話 ISBN・バーコードで緊張する

 2005年1月末、地方・小出版流通センターから正式に契約をしようという話をもらって思わず落涙した私だったが、契約までにはそれから2ヵ月かかった。理由はふたつあって、いずれも生来のビビリ癖に起因する。第一のビビリは、本当に契約を結んで大丈夫なのか? という点。この話が来たときにはただもう有頂天で、5月には第7号を出し、7月には初の単行本である『ホッピーマラソン』をぐいぐいっと出すのだ〜! と、思ったし、それを口にもした。
 だが、私の大言壮語を聞き飽きている我らが酒つまスタッフは言うのだ。そういうことがいちばんできないのは、あなたではないかと。そうなのだ。そうなのだった。たちまち意気消沈して大酒を飲み、酔うほどに、「ダメかもしれねえなあ」なんて、どんどんビビッていくのだった。
 もうひとつの懸案がISBNコード&バーコード問題。全国流通に乗せてもらうにはISBNというコードを取得する必要があり、バーコードも合わせて印刷したほうが書店さんには便利――。地方・小さんとの契約の話が出た直後に相談に乗っていただいた『本の雑誌』の浜本さんもそう教えてくれた。ではなぜ、そのコードごときに私はビビるのか。ISBNもバーコードも、日本図書コード管理センターというところに申請すれば取得は困難ではない。問題なのは、割り当てられた番号の数字を足したり引いたりして最終的なコードを自力で決めるということだ。
 私は計算に、ひどく弱い。きっと間違えるという確信がある。以前、『中南米マガジン』の金安さんは私に、ISBNコードの計算については「わけはないですよ」と言っていた。しかし、そう言われると私は、ワケはないほど簡単なワケがない、と思う。ISBNの実施手引き冊子を繰りながら数字をはじき出し、これでいいのかなと思った瞬間に、そんなワケはないと思ってしまう。そして作業を中断し、また大酒を飲み、酔うほどに「誰か代わりにやってくれねえかな」とビビリまくる。それが私のスタイルなのだから仕方がない。
 そんなこんなで、2ヵ月が経過した。3月末までかけて会社の登記簿その他の書類を揃え、4月1日、契約書類一式を地方・小出版流通センターに届けた。それからほどなく、ISBNとバーコードの申請もした。
 あれほどビビッていた私が、なぜこのタイミングで気持ちを決めることができたのか。その答えは簡単だ。「お前はトロいからもう契約しない」と言われてしまうのではないか――。ある晩、ある酒場で、うつらうつらしているとき、ふとそう思ったからだった。ビビリが私の背中を押したのだった。

(「書評のメルマガ」2005.11.11発行 vol.237 [ 全集のピース 号] 掲載)



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