■「酒とつまみと営業の日々」第66話〜第70話 ■

第66話 新年会で『サムライ』大合唱

 正月2日の大泥酔による顔面負傷からようやく立ち直りかけていた1月25日。私と編集Wクンは、双葉社『週刊大衆』の新年会に呼んでいただいた。
 『週刊大衆』には今も連載を持たせていただいているが、最初の出会いは、『中央線で行く東京横断ホッピーマラソン』の刊行を記念した重松清さんとのトークライブのとき。新宿のジュンク堂書店で1時間ばかりの会を終えると、最後に恥ずかしながら拙著にサインする時間があり、そのとき、列に並んだひとりの青年が、拙著をまとめて5冊買ってくれた。それが、『週刊大衆』編集部の最若手Mさんだった。
 後にこの5冊は、同誌の読者プレゼントに提供され、さらに、私には、『今週のうまいもん』という連載の話が、同誌編集部最若手から2番目のSさんからもたらされ、現在は『飲めよ歌えよ酔人伝』と名をかえて継続していただいている。おふたりとも、『酒とつまみ』に早くから注目していてくれた人。浅からぬ縁のある、ありがたい編集部なのだ。
 新年会当日。同誌で名物連載をもっている井崎脩五郎さんを囲んで神楽坂のそば屋で一足先に飲んでいると聞いた私は、『酒とつまみ』2号のインタビューにご登場いただいた井崎さん会いたさに、いそいそと出かけた。夕方だというのに、もうかなり飲んでいる。井崎さんも、周りの人も、実に楽しい酒。得体の知れなかった(今もそうか)『酒とつまみ』が、どうやら1万部も印刷する雑誌になったことを、井崎さん、我がことのように喜んでくださる。それが嬉しくて、私も、焼酎のそば湯割りをビシビシと飲む。
 残念なことに、その日、地元町内会の重鎮のお通夜がある井崎さんは、新年会本番には出席できない。あとのことは丹下に任せますから、と言って、井崎さんはタクシーに乗り込んだ。丹下さんとは、競馬新聞『ホースニュース馬』で当時、本紙予想を担当していた丹下日出夫さんのこと。井崎さんとは先輩後輩の間柄、私もお顔だけは、テレビの競馬解説を見て知っていた。
 さて、新年会本番。私たちは、ぐいぐいと酒を飲みながら、ときに、丹下さんに、「シンガリからの4頭をずばり当てたことがあります」などとくだらない話をするのだが、丹下さん、嫌がるどころか、実ににこやかに対応してくれる。井崎さんも、丹下さんも、ずば抜けてお人柄がすばらしい。だから、酒はさらにさらに進む。
 そして2次会。会場がまた、実にすばらしいスナック。毎週の校了のあとには必ず編集者が集まって飲むという昔ながらの温かさを持った編集部だけに、みなさんが行きつけにしているスナックの居心地も格別。その日は、別の出版社の新年会流れの人たちも大挙して押し掛けていたのだが、他社の人がいても、気取らず、威張らず、俺らのほうが飲むし、歌もうまいんだかんな、ってな感じでぐいぐいと飲む。
 井崎さんから「あとを任された」丹下さんもすごかった。酔って歌って盛り上げる井崎脩五郎の名代、ぬかりがあってはならぬとばかりに、我ら若輩を制してマイクを握るや、歌うはジュリーの『サムライ』。♪片手にピストル〜、心に花束〜、唇に火の酒〜、背中に人生を〜、ああ〜、ああ〜、ああ〜、あああ〜♪ 絶唱なんである。
 すごい。おもしろい。腹が捩れる。そういう絶唱。競馬の解説もめっぽうおもしろいが、丹下さん、酒も、酒場も、めっぽう上手なのだ。何回目かのサビの部分では、双葉社も、もうひとつの出版社も、みんなで合唱。私は、この光景を録画して、次号『酒とつまみ』の閉じ込みDVD付録にできないものかと、やはり絶唱しながら思っていた。

(「書評のメルマガ」2008.11.13発行 vol.384 [率直な叱咤 号]掲載)

第67話 トークショーでド緊張の酒

 2月に入ると、かねてから予定されていたトークショーに出演することになった。場所は八重洲ブックセンターで、お相手は太田和彦さん。主催が三栄書房『古典酒場』で、司会は同氏編集長の倉嶋紀和子さんだ。
 こういうのは、とても苦手で、マトモに考えると頭が変になってしまいそうなので、なんか本でも買うようなつもりで八重洲ブックセンターまで行くのだが、あっ、いけねえ、と思ったときにはすでにド緊張モードに入ってしまう。早く酒を飲まないと、とてもではないが、マトモにしゃべれそうもない。
 控え室で、八重洲ブックセンターの方にご挨拶をし、コーヒーなど飲み、平静を装うのだけれど、本音を言えば、コーヒーにウイスキーをドボドボ注いてほしい。やばいなあ。そこへ太田さんが来られ、しばらくして、倉嶋さんも現れる。倉嶋さん、和服姿なので「いいねえ」と冷やかし半分に言えば「小料理屋の女将の予定だったのですが、関取みたいになってしまって」と答えられた。それがおもしろかったのもあるけれど、どうやら倉嶋さんのほうが緊張しているみたいなので、私は、少しばかり落ち着いたのだった。
 しかし、会場へ足を運んで、また、ビビり直すことになった。100名以上のお客さまがすでに待っていたのだ。大半が太田さんのファンの方であることは想像がつくのだけれど、これは焦る。このド緊張は、トークが始まり、目の前のコップに注がれている液体が実は水ではなくて酒であることに気づくまで続いた。
 関取、いやいや、美人女将の倉嶋さんが緊張しながらも律儀に司会進行を務められ、また、太田さんの軽妙かつ当意即妙な話術に助けられて、どうにかこうにか、トークショーを終えることができた。
 そして、トークのあとのサイン会、というのでしょうか。太田さんのご著作を手に並ぶ方だけでなく、なんと私のほうにもお並びいただける方もいて、これはこれは、どうもすみませんと頭をさげつつ、下手な字を書き、握手などもしたのだったが、このときとても驚いたのは、太田さんの、ひとりひとりの読者さんに対する丁寧な応対である。日付と名前だけでなく、杯の絵なども添えて手渡すのだが、ひとりに、しっかりと時間をかけて、丁寧に書き、描く。これなら、もらった読者さんは、とても嬉しいと思う。そういうことがちゃんとできる人であることが、実はご著作にもしっかりと書かれているんだよなあ、などと、ただただ慌てふためくばかりの私などは思うのだった。そして、そんなときになってようやく、こういうイベントを組んで下さった三栄書房さんにも、場所を提供してくださり、拙著なども販売してくださった八重洲ブックセンターさんにも、ありがたいことだったのだなあと、しみじみ思うのだった。
 トークのあと、夕方からは再び集結して、関係者による打ち上げが行われた。場所は神田の『みますや』。刺身に日本酒。10名ほどで、賑やかに飲んだ。穏やかで気取らず、ざっくばらんで楽しい太田さんの酒は、このときも、私をとてもいい気持ちに導いてくれた。
 良き先輩に会い、話を伺い、酒を飲み、そして、『酒とつまみ』も『ホッピーマラソン』も売れた。佳日、と呼びたくなる1日だった。
 私は、凍てつく寒さの中、神田駅まで歩き、中央線に乗って帰るのではなく、銀座線に乗って銀座へ向かった。緊張状態から解放され、酒も入って陽気になった私は、まだまだ話し足りないようだった。

(「書評のメルマガ」2008.12.16発行 vol.388 [野望の王国 号]掲載)

第68話 風呂屋で飲みトーク

 2月、3月と『酒とつまみ』10号はいつもながら、少しずつ、順調に、出荷部数を重ねていった。とはいえ、私が果たす役割は、以前に増して少なくなってきた。
 編集も営業も、事務も、日々の雑事も、W君とN美さんのふたりに頼り切っていた。私がしていたことと言えば、酔客万来のインタビューで安部譲二さんとの酒宴に参加したこと、瀬尾幸子さんのつまみ塾の試食撮影会に参加したこと、あとは、私自身の連載企画「山手線一周ガード下酩酊マラソン」の取材に出かけたことくらいである。
 そうこうしているうちに4月になったが、生活していくための稼ぎ仕事の量も膨大なものになり、このころ、体力は底をついていたと思う。3月には、血尿が出ながら仕事を休めない、酒も休めないという状況になっていた。
 そんな4月5日のこと。「わめぞ」(早稲田、目白、雑司が谷地区の「本」に関係する仕事をしている人間の集まり)が主催する「第1回 月の湯古本まつり 〜銭湯で古本浴〜」に、トークのゲストとして呼んでいただいた。古書に造詣が深いわけでもないので、古書現世の向井さんから話をいただいたときにも、何をしたらいいのかわからないと答えたが、お伺いすると、ただ、酒を飲んで、なんでもいいから話してくれればいいという。お相手は大衆食堂の詩人・遠藤哲夫さん。ふたりして、銭湯の空の湯船に入って、飲みながら、何かを話す、ということなのだ。
 わからない。何でもいいから話してくれと言われても、なにを話すべきなのか、わからない。私は、こういう状況に弱い。むしろ、ああせいこうせいと、うるさく制約を受けたほうが、ならば見事にすり抜けてやるなどとやる気にもなるのだが、なんでもいいから好きにやってくれればいいよ、というのは困る。
 結局のところ、エンテツさんに、なにもかも、任せることに勝手に決めて、少し酒を飲んでから、目白の「月の湯」へ向かった。 
 さすがだな、と思ったのは、エンテツさん。時間ぎりぎりになるまで来ない。連絡を取ろうにも携帯電話をお持ちではない。どうしたのかなあ。と、関係者何人かが同じことを口にしたころ、やあやあ、と、にこやかに登場された。聞けば、2時間ほど前から飲んでいるという。さすがだな。
 もう、こうなったら、エンテツさんのほろ酔いに乗っかるしかないと、私もまた、本番直前に、カップ酒を2本、立て続けに流し込んで、湯船へと入ったのだった。
 トークは、エンテツさんのペースで順調に進み、予定の1時間はあっという間に過ぎた。その間、カップの酒をもう1本ほど飲んだから、終わるころには、ほわりと顔もあたたかく、実にいい気分で、昨今のズタボロな状態が嘘のように、私は、イベント関係者やエンテツさんのお仲間たちの列に連なり、打ち上げの店がある池袋へと、ゆらゆら歩いているのだった。

(「書評のメルマガ」2009.1.12発行 vol.392 [にぐるまひいて 号]掲載)

第69話 泣きながら決算して遍路旅へ

 2008年の6月、7月は、例年のことではあるが、事務所の決算作業に追われた。『酒とつまみ』の発行元は(有)大竹編集企画事務所なので、事務所の決算では、『酒とつまみ』の売上や経費などについて、細かく把握していかなくてはならない。
 言うのは簡単だが、実際には結構面倒である。経費については大まかに言って領収書の仕訳ができればOKだが、問題は売上の把握。書店さんや取次店さん別に、何冊を預かっていただき、そのうち何冊が期間中に売れたのか、返品はいくつか、引き続き店頭に置いてもらっているのは何冊か。それらをきっちり追いかけていかなければならない。
 もっとも手間がかかるのは、直接購読をしていただいている個人読者の売上の把握である。個人の読者の方々には、送料をご負担いただいていて、このことには心から感謝を申し上げる次第なのだが、郵便振替というのは、そのたびに口座徴収料という名目でお金がかかる。それが、80円であったり、120円であったり、振替用紙をすべて見て確認する必要がある。
 毎週あるいは最悪でも毎月、この作業をしっかりやっておけば問題ないのだが、ざっくりとした数字の把握だけに留めておくと、決算期には結局すべてを洗い直すことになる。つまり、1年分の振替用紙をめくって、売上のあった月日と売上金額及び口座徴収金額を拾い出し、加算していくのだ。
 こうやってようやく、売上がわかり、期末を越えて市中在庫となる売り掛け金の額がわかり、めでたく決算ということになるのだが、ここまでもっていくのに、毎年、最低でも2回くらい泣きが入る。得意ではないのだ、こういう作業が。原稿仕事や麻雀なら徹夜もつらくないが、決算書づくりのための徹夜は骨身にこたえる。ついでに言っておくと、私は、エクセルが使えない。
 さて、そうしてようやく決算とあいなった。弊社は5月末決算だから、納税の締切が7月末ということになる。で、そのあたりの日程がどうなっていたかを、手帳を繰って確かめてみると、決算関係書の必要書類などをひとまず会計事務所へぎりぎりで送ったのが20日過ぎとあった。
 その後、24日から28日まで北九州へ取材に行き、帰京翌日に、会計事務所にて書類に署名捺印。30日には急ぎの取材と原稿を片付け、31日、納税期日の当日に振り込みのあった原稿料を納税に回したその足で、私は四国へ旅立った。
 四国への旅は、真夏のお遍路を目的としていた。

(「書評のメルマガ」2009.2.13発行 vol.396 [おでかけ解禁 号]掲載)

第70話 機内校正はつらいよ

 真夏のお遍路企画でびっしり汗を搾りとられてカサカサのパサパサになった8月。ヒーヒー言っている間に、今度はなんと、スコットランドへ行くことになった。同行のカメラマンは、我らがSさんだ。
 『酒とつまみ』の仕事ではない。しかも、このとき、遅れに遅れていた(私が遅れさせた張本人だ!)『酒とつまみ』11号の制作が佳境に入ったときだった。出張期間は正味6日間で、入稿か校了にぶつかる可能性がある。私は編集W君に、スコットランドへ行ってもいいかどうか相談した。
「せっかくの機会ですから、行って来て下さい。最悪、校了にいてもらえれば」
 そう言ってくれるのだった。出張日程も直前まで定まらず、冷や冷やしたが、結局のところ、入稿をW君に任せ、入稿時点でのゲラのコピーをSさんと私とが持って、出張中に読み込んでくるということになった。スコットランドから帰国したその日に仕事場へ戻り、読みこんでおいたゲラを校了紙に反映して、その日の夜中までに校了しようという計画。それしか方法がなかった。
 現地での取材は、毎日長時間に及ぶことが予想された。ゲラをじっくりと読む時間はない。私は、往路の飛行機の中で読むしかないと腹を決め、成田を出た飛行機の機内でひと眠りした後は、まあ、それはもう、ウイスキーなど飲みながらではあるのだけれど、なんとか読み続け、ロンドンで1泊した後、スコットランドへ移動する国内線の中でも、なんとか読み続け、これで、あとは、帰りの機内で読み切れるだろうというところまで、たどり着いた。
 問題だったのはSさんである。旅慣れたSさんは、機内ではぐびりぐびりと酒を飲み、当然のことながら熟睡してしまう。これは、到着後に疲れを残さない工夫である。現場だけが勝負のカメラマンだから、それで当然なのだけれど、この人、言わなくていいことを言う。
「ダイジョブダイジョブ、もうね、けっこう読んじゃったから」
 現地へ着いた1泊目の夜。ゲラは読めてますかと問う私に、Sさんは言うのだ。本当かなあと訝ってはいたが、その懸念はやはり、現実のものになった。
 すべての仕事を終えて、ロンドンから成田へ向かう飛行機の中でゲラを取り出したSさんの姿を見て、私は彼のテーブルの上を覗き、思わず笑った。まだ、巻頭特集の途中なのだった。
「ダイジョブダイジョブ、後ろのほうは読んであるから」
 もちろんウソである。
 ゲラを読み終えた私は、ウイスキーを飲んでは少し眠りということを繰り返していたが、目が覚めるたびにSさんを見ると、老眼鏡を鼻の先にぶら下げたまま、がっくりとコウベを垂れて眠っている。アホや。これでは読み切れるわけがない。
 だからたぶん、11号の校了については、ほぼW君と私のチェックしか反映されてない。でもまあ、それは大勢に影響のないことなので、問題ないです。
 帰国した私たちは、もうヘロヘロで、校了紙への反映を終え、3人して大日本印刷の守衛室へとタクシーを飛ばし、納品後は近くの『三晴』でガバガバ飲んだ。
 それはそれは効く酒で、ベロンベロンになったのは言うまでもない。

(「書評のメルマガ」2009.3.13発行 vol.400 [黄金時代 号]掲載)



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