■「酒とつまみと営業の日々」第51話〜第55話 ■

第51話 もったいなくて、ありがたくて

 7月中に溜め込んでしまった仕事に追われつつ、『中央線で行く東京横断ホッピーマラソン』の配本作業にも追われ、アップアップの毎日を送っていた2006年の8月。取次ぎをお願いしている地方・小出版流通センターのご担当者から、1本の電話をいただいた。ジュンク堂の新宿店さんが場所を貸すから、何かイベントをやらないかというお誘いだった。
 トークイベント、あるいはサイン会というようなことなのだろうけれど、とてもではないが、私なんぞに務まるものではないと咄嗟に思った。しかもお話をよく伺えば、誰か著名な方をお招きしてトークライブ&サイン会のようにしてはどうか、ということなのだった。著名な人って……。気軽にお声をかけられる人などいるわけがない。
 それでも、せっかくのお話、なんとかしなくてはと思い、悩んだ挙句に私は『中央線で行く東京横断ホッピーマラソン』の最終回に駆けつけてくださった重松清さんにお願いする決心をした。メールにて、その旨を伝えた。すると重松さんは、間髪入れずに快諾してくださったのである。
 重松さんはメールに書いた。トークのあとのサイン会は『ホッピーマラソン』か『酒とつまみ』に限定し、サインはタケさん(私)がする。重松さんご自身は自著にはサインをしない、と。末尾には「主役はタケさんです」とあった。私はこのメールをもらったときのことを、よく覚えている。すぐにでも電話をかけて直接御礼を言いたい。その気持ちは、もったいなさと、ありがたさに混じりあって、いつまでも消えることがなかった。
 人生で初めてのトーク&サイン会が決まり、ただでさえ浮ついている私はこの後、『タモリ倶楽部』さんから3度目の出演依頼をいただき、さらに浮ついた人間になっていった。
 9月2日。神田の立ち飲み屋さんで行なわれた収録には、なぎら健壱さん、井筒和幸さんといった、『酒とつまみ』の「酔客万来」にご登場いただいた方がお見えになり、そこに、すっかり酔っ払った状態で、私たちも混ぜていただいた。
 緊張と酔いとで、収録後にはヘロヘロになった。そして、ヘロヘロのままで、国分寺にある『いっぱいやっぺ』という店に、この本を届けに行った。もう飲めない状態だったが、居合わせた常連さんたちは、私が『酒とつまみ』3号の取材でお邪魔したときのことを覚えていてくださり、「おお、ホッピーの、あのときの本できたか、ちょっと見せてみな」と言って1冊を手に取り、みんなで回し読みをしてくれた。なかには、この店にお邪魔したときの箇所を、声に出して読む人もいらっしゃって、場はとても和み、いい夜になった。
 自分の身の丈に合わないことが立て続けに起こった上に、浮ついた私は大量の酒を体内に入れて、文字通り、ふわふわと宙を漂うような気分だった。もったいなさと、ありがたさが、体中に充満しているような気がした。

(「書評のメルマガ」2007.8.10発行 vol.324 [夏は京都で古本市 号]掲載)

第52話 『本の雑誌』のみなさんの世話になる

 『タモリ倶楽部』収録の日に、収録中と、その後の飲み屋さんへの納品でヘロヘロになった私は、たしかその日、久しぶりに吐いた。40歳を過ぎて吐くか。そういうことを思うわけだが、吐いてしまったのだから仕方がない。毎年9月は私にとって鬼門である。夏の疲れと、夏の深酒がたたって、どうにもならない。でも、深酒するから、ほんとうに、どうにもならない。
 そんなとき、私は編集Wクンと一緒に本の雑誌社に浜本茂さんを訪ねた。『酒とつまみ』の連載の打ち合わせである。また、こうして会っていただけるときにはこれまでにも、販売の仕方やらなにやらを、教えていただいてきたのだ。というより、連載の打ち合わせというのは、あまりしたことがなく、私たちはいつも、浜本さんに会うためだけに訪問しているのかもしれなかった。
 今回の話題は『中央線で行く東京横断ホッピーマラソン』。いかにして売るかという話で、営業の杉江さんも同席してくださった。私が、営業に行って話がひとつ決まったり、あるいは納品が済んだ後などには、ついビールを飲んでしまい、その後、仕事にならないという話などをした。すると杉江さんは、怪訝なものを見る目つきであったが、ひと言、「僕が売りましょう」と言ったのだった。注文カードなどはありますかというので、ああ、注文カードってのはつまりそのお、なんてもごもごしていると、
「それじゃ、それも僕が作りましょう。明日から書店を回るときに、一緒に営業をします。注文はファックスで書店から入りますから」
 信じられない話ではないか。このざっくばらんさ、信じられない。私たちはその後、浜本さんと販売のHさん、編集のMさん、Fさんといった若手のみなさんと、酒を飲みに行った。その席でも、やはり、なんとも、ざっくばらん、なのである。本の雑誌の人たちは、とても明るく、話がおもしろく、威張らずに、私らの話なども聞いてくれる。浜本さんに日頃から感じてきた人間の素晴らしさを、みなさんに感じ、ヒネた性格の私は、つい、酒を飲みすぎた。
 みなさんと別れてからもう1軒行き、翌日はまたもや二日酔いだった。はあはあ言いながらなんとか仕事へ出て、仕事をしていると、午後だったか、1枚のファックスが入った。それは、杉江さんが作った注文書に自ら注文冊数を記入し、ファックスしてくださったものだった。
 ああ、ほんとに、来たよ、注文が。アタシがホッピーばかり飲んでいる間に……。
 翌日も来た。今度は書店さんからのファックスだった。アタシがホッピーばかり飲んでいる間に……。
 お前が行けよ、営業に! 私は、自分に向かって、そう言わざるを得なかった。杉江さん、ありがとうございました!

(「書評のメルマガ」2007.9.22発行 vol.328 [遅れてすまぬ 号]掲載)

第53話 人生初のトーク&サイン会

 テレビに出させてもらったり、本の雑誌のみなさんと酒をご一緒させていただいたりで浮つきまくっていた2006年9月の末、極めつけのイベントの日がとうとう来てしまった。
 重松清さんが参加を快諾してくださった、トーク&サインの会なのである。場所は、ジュンク堂書店の新宿店特設会場。ここで私が、自著である『中央線で行く東京横断ホッピーマラソン』と、小誌『酒とつまみ』について、語り合い、サインなどもするという、すごい話になっていたのだった。
 私は、あがり症だ。とても、緊張する。遅れたらたいへんと思い、とても早い時間から新宿へ到達、ドキドキする胸をかかえて、さて、ビールでも飲んじまうかなんて、自分自身に減らず口をたたいてみるものの、とてもではないがそんな勇気もなく、まだ、誰も来てないよなという時刻には、会場へ着いた。
 するとしばらくして、小誌を店内で販売してくださっている銀座の酒場の常連さんがふらりとやってきて、「やあやあ、ここですか、立派な会場じゃないですか」とにこやかに声をかけてくださった。わざわざ、この日の予約までして、たいへん忙しい方なのに、ずいぶん早い時刻から来てくれたのだ。参った。ぐんぐんと緊張が高まってしまう。
 そのうちに、書店のスタッフの方に加え店長さんにも挨拶をいただき、アワアワ入っている間に、小誌スタッフと前後して、以前から応援してくださっている顔見知りの方々も続々と来場された。ああ、もう、いけない。
 そこへ重松さんも登場。奥の喫茶室で、
「まあまあ、オレに任せておいてよ。まずオレが出て行ってあなたのことを少し喋ってから呼ぶからね。そうしたら出てきて。あとはこっちで突っ込むから心配いらない」
 重松さん、それだけ言ってにこりと笑い、会が始まるや本当にそういう流れになって、私はもう、ただただ、マイクを持つ手が震えているのをどうやって隠すかに専念していたのだった。
 話は、今回の単行本の企画の経緯やら、酒とつまみは今後どうするのか、といった、非常に広い範囲に及んだと思うのだけれど、実はあまり覚えていない。頭真っ白というけれど、まさにそんな感じで、恥ずかしながら、ひとまず会が終わりかける頃になって、やっと人心地がついた次第だった。
 ただ、よく覚えていることもある。重松さんが、「これだけ酒場のことを書ける人はなかなかいないよ」というようなことを発言してくれたこと。とても恥ずかしかったが、同じくらい嬉しかった。初めて体験する種類の嬉しさだったように思う。
 それともうひとつ、会の終わりに、たいへん多くの方が、私の本を買ってくださり、サインを受けてくださったことである。このときになって私は、ふたたび、手が震え始めた。早くビールの1杯も飲まないと、いや、ビールでは間に合わない、ウイスキーをひと口ふた口飲まないとまともに字が書けない……。
 そんなことを思いながら、必死で手の震えを抑制していたのだった。(禁断症状ではないと思います、一応)

(「書評のメルマガ」2007.10.15発行 vol.332 [スピード感とリズム感 号]掲載)

第54話 胃が痛え金がねえ本が出ねえ

 2006年10月からはライターとしての仕事でも酒場めぐりが続く日々となった。この年の春にやったのと同じ種類の仕事で、毎日毎日、昼間から酒の入る日常となって、またまたヘロヘロになった。
 11月に入ると、酒の仕事が続く傍らでなぜかカキを大量に食う1週間が続くことになった。酒が飲めて、カキが食える。たいへん結構なことなのだが、さすがにちょっと体にもこたえていたらしく、カキ取材の後半で胃痛に襲われ、痛む胃にストレートのウイスキーを流し込むにいたって、普段からの金欠もストレスとなったか、どうにもやる気の出ない状況となった。
 『酒とつまみ』9号の準備は遅れまくり、8月初旬から配本を始めた『中央線で行く東京横断ホッピーマラソン』の拡販にも身が入らない。浅草で朝から晩まで馬券を買いながら酒を飲みまくろうという取材を実行したのは、そんなときだった。
 まだ胃の調子が本当ではなく、朝からなんとも憂鬱だった11月12日。編集Wクンと私は浅草のWINSに集合。朝一番のレースから馬券を買い、ハシゴ酒をすることになった。その顛末については本誌9号掲載の『馬券酒マラソン』の記事を見ていただけると幸いですが、この日、胃痛・金欠・本は遅れまくりの私と、同じく金欠のWクンに神様が降臨した。最終レース間近までハズレまくり、単なる酔っ払いと化していた二人が、それぞれ18万円、19万円という配当を受け取った。
 このたいへんな幸運は、直接『酒とつまみ』の営業に関する話ではないのだが、ようやく9号まで来ながら失速気味の私にとってはとてもいい景気づけになった。少なくとも、ほんの少しの間、金銭的な心配から解放される意味で、幸運としかいいようのないことだった。
 この頃から、編集部制作原稿より先行して送っていただいている連載陣からの原稿が届き始め、レイアウトができるとファックスで確認するような状態に入るのだが、まだまだ、編集部制作分が進まない。おまけに個人的には、10年来住んだ自宅を越すことになり、毎週週末には、貯めまくって整理してなかった各種資料や古い本などの整理にも追われた。
 そして、『酒とつまみ』9号の入稿は、その後も紆余曲折を経て、12月27日となった。すでに日付の変わった28日、大日本印刷の守衛室に、私とWクンは、入稿をした。
 やっと、入った。それだけだった。

(「書評のメルマガ」2007.11.14発行 vol.336 [だんだん寒く 号]掲載)

第55話 遅れまくる配本への督促状

 疲労感の固まりになりながら、なんとか年末のうちに入稿を済ませた『酒とつまみ』9号の校了紙は、翌2007年1月9日に出てきた。正月を挟んでいたのでずいぶん時間が経ってしまったような気がしたが、その週の週末には校了せねばならず、その後には、配本へ向けた準備も待っていた。もとより、年末年始も飲み続けであるから、新年が始まって10日だというのに、なんだこの疲れ方は! というくらい疲労困憊していた。
 9号の印刷部数は、前号に引き続いて8000部。地方・小出版流通センターへの初回納品は1700冊と決まった。差し引いて、残りは6300冊。これを完売したいと思えば思うほど、やはり遥かな道のりだなと、しみじみ思った。
 1月22日。大日本印刷から、第9号8000部が納品された。編集Wクンと私に加え、デザインIさんもカメラSさんも仕事場へ来て、例によってエレベーターのないビルの4階にある仕事場まで、みんなで梱包を運び上げた。ひ弱な私などはたちまち息が切れ、真冬だというのに汗がダラダラ出るのであるが、その分だけ、納品完了後のビールがうまい。みんなで乾杯。うまかった。 
 それから、執筆陣の方々や、取材への協力をいただいた方たちへの送本作業に入る。宛名の一部は、1部20円で私の娘に書かせたもので、甚だ拙い文字の宛名なので恐縮至極なのだが、なに、それは、私が書いても変わらない。『酒とつまみ』編集部において、宛名がシールになって印刷される日が、いつ来るのか、まだ、皆目見当もつかないのであった。
 納品当日は、弊誌を置いてくださる銀座の「ル・ヴェール」「ロックフィッシュ」という2軒を回り、その後中央線沿線へと納品行脚をする。私は、「ロックフィッシュ」であえなく酔ってしまい、結局のところ西荻窪の信愛書店さんへの納品は、編集Wクンに任せた。
 翌日から、スケジュールを組むのがとても難しい日々が始まった。自宅から仕事場へ向かう午前中には、その途中の書店により、府中で取材がある午後には、午前から立川、国立、府中と書店を巡り、赤坂で打ち合わせがある夕方には、その少し前に、まとめて3軒の書店を回る。そんな具合だった。しかし、配本は、なかなか進まない。
 Wクンももちろんフル稼働で配本作業をしている。私も、出切る限りの配本をしている。しかし、1日に持って歩ける冊数には限りがあり、酒に絡む取材や打ち合わせが多い身としては自家用車を使うこともできない。納品は、遅れに遅れた。
 そして、月が変わった2月。都内某有名書店にようやく納品に伺うことができた私は、店長からこんなことを言われた。
「やっと出ましたか。いやあ、問い合わせがあるんだよ、まだ出ないのかって。なんで、こんな本がまだ届かないからと言って、苦情を言われなくちゃいけないんだ」
 これは、小言ではない。店長は、笑いながらそう言って、注文もがっちりとくれたのである。発行も遅れれば配本も遅れる。それでも、笑って、待っていたよと言ってくれる人がいる。私には、それだけで十分だった。
 翌週のことだろうか。神田三省堂の新刊ランキングで、『酒とつまみ』9号は、14位に食い込んでいた。これは飛び切り嬉しいニュースであると同時に、まだ終わっていない配本への督促状でもあった。

(「書評のメルマガ」2007.12.16発行 vol.340 [年末の静けさ 号]掲載)



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