■「酒とつまみと営業の日々」第56話〜第60話 ■

第56話 苦境に届いた1本のメール

 2月の半ばになって、ようやく書店への配本にも目処が立ってきた。ということは、つまり、次号の準備に取り掛かるべきときに差し掛かってきたことを意味する。私と編集Wクンは、書店への納品後に時間を作り、飲み屋でビールや焼酎を飲みながら、打ち合わせをした。
 思えば、創刊号の準備をしていたのは、2002年の春先のこと。あれからちょうど5年が経過していた。最初の頃、ふたりはそれぞれに小さなノートを持ち、バカなネタを言い合っては書き留めて、どんなページにするかを思い描いた。しかし、5年経ったこのとき、我らの最大の問題は、どのようにして『酒とつまみ』を続けていけばいいのか、ということだった。
 問題はふたつ。人手と金の、両方がないということ。もちろん、食うための仕事もある。あるどころか、教育費負担に喘ぎながら毎晩の深酒を止めない私の場合、ひっきりなしに食うための仕事をこなさなくてはならない。
 このとき、我らは、『酒とつまみ』の記念すべき10号の前に、編集部としては第2弾となる単行本『酔客万来』の準備に取り掛かることを決めていた。まずは、雑誌掲載用に取材したときの録音テープを聴き直し、テープ起こしをやり直す必要がある。それをもとに、雑誌掲載時には省略していた話なども盛り込んで一冊の本にしようと考えたのだ。
 しかし、どう考えても、その時間がない。しかし、時間がないとは言えない。金もない。しかし、これを出さないわけにはいかない。どうにもならないなあと心底思いながらも、酔いの手伝いもあって、私は大きなことを口にしたくなる。
 金はなんとかなるさ。テープ起こしも、どんどん進めるよ……。
 いつものクセだ。こういうことをするから、後でウソをついたことになる。わかっているのだけれど、やはり、無茶なことを口走る私であった。
 そんな頃、連載陣の一人である有田芳生さんからメールが来た。日垣隆さんが、自身のブログで『酒とつまみ』を応援してくれていたのだが、その中で、あの貧乏編集部は「酔客万来」インタビューの酒場代を払えているのかという疑問が呈されているとのことだった。そのことについては有田さんもご自身のブログに書かれ、私は、問い合わせに対して編集部でちゃんと払っていると返事もしたのだが、有田さんのブログには、もうひとり反応を示した人がいた。重松清さんだ。
 重松さんは、ご自身が「酔客万来」に登場したとき、酔っ払ってヘロヘロになりながら、その場の酒代を払いたいと訴えた私のことを、有田さんあてのメールに書いたのだ。そして有田さんは、重松さんからの返事について書いたブログ原稿を、私にメールしてくれた。ヘロヘロになりながら金を払わせろと訴えた私のことを、重松さんは、この人は信用できるなと思ったと、書いている。
 金はない。人手もない。編集Wクンにはますますの負担をかけそうだ。しかし、やはり、こんなに温かく見守ってくれる人がいる以上、頑張らなければならない。
 私は、ちっぽけな仕事場のパソコンの前で、有田さんと重松さんに、深々と頭を下げたいような気分だった。

(「書評のメルマガ」2008.1.14発行 vol.344 [数学と文学 号]掲載)

第57話 蘇る高田渡さんの声

 金と人手がない。金を稼ぐためにたくさん仕事をし、疲れてまた酒を飲む。甘ったれているといえばそれまでの繰り返しで、単行本『酔客万来』の仕事は遅れまくった。
 Wクンの負担はさらに増し、私がやると言っていたテープ起こしを代わってもらい、私がまとめた第一段階での原稿に、細かく手を加えてもらいながら、作業は少しずつ進んでいった。私はこのときすでに、ほとんどタッチしていない状態になった。
 今回の『酔客万来』には、創刊号から5号までに登場いただいた5人の、いわばノーカット版の原稿を載せることにしていた。再録の許可と、原稿内容の再確認が必要になる。
 高田渡さんの奥様からは、雑誌掲載時の原稿、全体のテープ起こし原稿、そして、単行本掲載予定の原稿のすべてを見せてほしいという要望が寄せられた。
 それからずいぶんと時間がかかって、原稿一式をお届けにあがったのは5月の1日のことだった。ご自宅まで届け、挨拶をした。
 掲載にストップがかかることなど、若干の不安もあったが、それから2週間ほど経っていただいた返事は、とても好意的なものだった。
 修正は、高田渡さんの言葉の言い回し、語尾のニュアンスなどについて、ほんの少しばかりのもので、そのとおりに修正してみると、本当に高田さんの口調が蘇るようだった。高田さんが亡くなって以来、生前に残された曲や原稿を新たに編集するのは、これが初めてのことだった。だからこそ、大事に、細かく見ておきたかった。それが高田さんの奥様の意向だった。そして、その思いは、原稿に見事に反映されたと、私は思った。
 忙しい。金がない。どうするんだ? 私は自分の置かれている環境に翻弄されるばかりで、自分からは何も創り出せずにいた。しかし、高田さんの奥様が入れてくださった修正の指示を見たとき、思いが晴れるような気がした。
 忙しいとかたいへんだとか。そんなことを言うのではなく、目の前にあるこの仕事を、きちんといいものにする。それこそが、もっとも大切なことなんだと、その晩、どこかの飲み屋で、酔った頭で考えていた。
 高田さんの声が蘇る。
「キミは何も勉強してこなかったな?」
 本当だ。オレは何も学んでいない……。小さな目の前の仕事に面と向かうこと。やっつけの仕事をするくらいなら、やらないほうがマシだということ。誰に頼まれもせず、金を当てにもせず、自分たちの作りたいものを作って売る。『酒とつまみ』を始めたときには確かに持っていた一種の気分を、その日私は、ダラダラと焼酎を飲みながら、それでも懸命に思い出そうとしていた。

(「書評のメルマガ」2008.2.18発行 vol.348 [高田渡の声 号]掲載)

第58話 新たな女性スタッフ活躍す

 『酒とつまみ』創刊号から5号までの座談会的インタビュー『酔客万来』を単行本にまとめる作業は、発行人である私がタッチしていないところで、少しずつ進んでいった。
 中島らもさん、井崎脩五郎さん、蝶野正洋さん、みうらじゅんさん、高田渡さんと一緒に酒を飲んだときの連載記事を、一冊の本にする。それは、前年にやはり『酒とつまみ』連載から単行本化した『ホッピーマラソン』と同じ経緯であるが、今回の『酔客万来』の場合、大御所5人の言葉をどれだけ生き生きと伝えられるかという点で、ホッピー本のときより編集のハードルが高かったように思う。しかし、編集Wクンは、表紙のデザインから紙質、全体の構成、テープ起こし、原稿執筆、脚注作成、校正その他もろもろ発生する作業を着実にこなした。
 この連載の前号にも書いたが、私はもう、まるでタッチしていない。やりたいんだが、どうにも手がつけられる状態ではなかった。少し後になってからのことだが、編集者のクレジットからオータケの名前を外そうかと、Wクンは真剣に考えたらしい。それが実態だった。
 さて、寒風吹きすさぶ感のある『酒とつまみ』編集部であったが、この頃、いいことがあった。新たな女性スタッフのN美さんが参加してくれたのだ。Wクンも私も、以前から知っている人で、偶然にもその頃、少しばかり時間が作れるような状況にあったため、頼んで来てもらった。
 創刊メンバーであり本誌に連載も持ってもらっているY子さんも別嬪だが、N美さんもまた、別嬪なのである。それがどうしたというなかれよ。仕事場に花が咲いたみたいではないか。おそろしくオヤジ臭いことを言うようであるが、恐れることはない。それが私の正直な感想だった。
 そして、『酒とつまみ』編集部はがらりと雰囲気を変えるのだ。N美さんはWクンの指示のもと、営業、事務、配本、そして編集と、実に幅広い仕事をこなしてくれるようになる。
 私がとても驚いたのは、それが私にない部分でもあるかと思うが、N美さんは、言われた作業をその日のうちに片付けようとしていることだった。普通は時間を気にする。何時までが仕事、と、思う。しかし彼女はそうではなくて、これを終わらせて帰ろう、と思うタイプなのであった。私はすぐに仕事を翌日に回して酒を飲みに行くタイプなので、このあたり、とても驚いたし、嬉しくもあった。
「なんか、懸案だった仕事が片付くねえ」
 私はWクンに言った。N美さんは、いずれやらないとなと思っていた仕事を片っ端から処理していってくれた。
 そして、『酔客万来』はいよいよ、完成間近となっていくのである。

(「書評のメルマガ」2008.3.15発行 vol.352 [名前はわかるよね 号]掲載)

第59話 納品日くらい働けって!

 『酒とつまみ』発の単行本第2弾『酔客万来』はいよいよ完成のときを迎えた。インタビューの録音テープを起こすところから始まる編集作業のごくごく一部にしか貢献できなかった私は、せめて印刷所からの納品の日にははりきって働き、その後の営業活動にも、実に久しぶりに力を入れてみようなどと考えていたのだった。
 でも、できなかった。体がついていかなかったのだ。
 この本の校了は、2007年7月22日。日曜日だった。深夜まで作業してから大日本印刷の守衛室に校了紙を届ける予定であったので、私は車で仕事場へ行った。しかしこのとき、自宅から車で行こうと決意したのには、もうひとつの理由があった。足が痛かったのだ。
 前日、自宅で原稿作業をしている頃から左足の甲が痛み始め、当日には靴を履くのが躊躇われた。仕事場でもずっとサンダル履きで軽く足を引きずる感じ。どうもおかしい。酔っ払って昨日、どこかで足を捻ったか?
 その疑いは、翌日になって、間違いであることがわかった。翌日にはもう歩けなかったのだ。これは捻挫じゃない。
 しかもその日は、『酒とつまみ』10号の酔客万来コーナーの取材日。ご出演は玉袋筋太郎さんで場所は中野坂上だ。けれど私は歩けない。自宅までタクシーを呼び、三鷹駅へ出て荻窪で丸の内線に乗り換える。そのあたりまでで体力のほとんどを使ってしまうほど、足が痛えのである。
 中野坂上の駅から目指す加賀屋さんまで普通なら5分ほどの道に20分をかけ、額には脂汗が滲んだ。ああ、歩けねえってのに、これから大酒を飲むのか……。
 で、その後のことは思いっきり端折りますが、痛風と診断され、薬を飲んで痛みこそ和らぐものの、どこか違和感を抱えつつ、同時に、好きなものを食って好きなだけ飲めばすぐに再発、なんてことを気にしながら恐る恐る飲んで、頭にくるとガブ飲みしていたのであるから、31日の納品日のときにも、まだまだ本調子ではなかったのだ。
 でも、薬のお陰で、痛みは引いている。私は頑張ろうと思うのだ。
「無理しないでいいですよ、私やりますから」
 そう言ってくれたのはN美さんだ。華奢な体でこのクソ暑いときに、エレベーターのない雑居ビルで本を運び上げるというのは、ちょっとした懲罰に近い。でも、彼女はそう言って微笑むのだ。
 私は咄嗟に、甘えることにした。梱包の数など数えたりしながらお茶を濁す。作業が終わると、みんなに缶ビールを配った。
「かんぱーい!」
 もっとも声が大きかったのは私であろうか。
 納品日くらい、働けよな……。最大の功労者である編集Wクンの顔はそう語り、カメラのSさんはバカにしくさった目で私を見ていた。
 おいおい、なんなんだよ、その目つきは? などと言わずに、痛風患者の大敵であるビールをおいしくいただく私であった。

(「書評のメルマガ」2008.4.14発行 vol.356 [詩を書くひとたち 号]掲載)

第60話 脅かすんじゃあないよ!

 『酔客万来』という、編集部として第2弾となる単行本を無事に出版した8月は、ちょっとヘビーだった。痛風発作のため、完璧な断酒にまで至らなかったものの、薬を飲みながらのおっかなびっくり暮らし。自宅でホッピーの外だけを飲んだり、ノンアルコールビールを飲んだりしつつも、外へ出れば酒の席があり、そこではまあ、こりゃやばいんじゃないのと思いながらサンマ尽くしのつまみでレモンハイを飲んだりしていた。
 それでも、ちょっとびびるだけで、わが肉体の数値というものは劇的に改善されることもわかった。発作後、1週間我慢して病院へ行き、そのとき当然採血するのだけれど、翌週また行って採血されつつ最初の採血の結果を知らされ、さらに翌週も出かけていって、2回目の血と尿の検査結果など言い渡されるわけだが、たった1週間びびっていただけで、もちろん薬も飲んだのだけれど、痛風がらみの尿酸値は平常値に戻り、肝臓がらみのγ-GTPとやらも、一気に200も下がっていた。もとが580ですからね。威張れたもんじゃあないんですが、この調子でびびり続ければすぐに100を切るね、なんか思ったもんだ。
 仕事のほうは、酒がらみが同時期に3本もスタートする感じで、下見やら打ち合わせやら取材やらで、けっこうのみ、8月14日には、みんなお盆で休んでるんだからさ、とか言いながら、編集W君とN美さんを誘い出して銀座ロックフィッシュで午後3時からバカ飲みしたりもした。
 まるっきり仕事場に顔を出せない状態。というのも、午後には取材・打ち合わせがひしめいていて、夜は酒になる。午前中にせめて原稿を、となると、仕事場へ行くより自宅でそれを片付けて直接人に会うほうが無駄がない。でも、そのために、『酔客万来』に関して、ほぼ、営業活動をしていない状況にも陥ってしまった。
 9月に入ってすぐ、TBSラジオ『ストリーム』に出させていただき、そこで少しこの本のことを喋らせてもらえたのが私としては最大の収穫で、そのスタジオにも、近くの蕎麦屋で1杯引っ掛けてから行くようなひでえ状態だった。
 痛風を診てくれていたのは高校時代の同級生で、数値が大したことないから、あまりきつく治療を勧めるというわけではなかったのだが、8月の末に高校の同級生数人と朝まで飲むような激しい一夜を過ごしたとき、同席してくれた医師は、もう一人の医師とふたりして、言ったものだった。
「あのね。肝臓のさ、GOTとかGPTってやつはね。肝硬変になってからだと、あんまり数字が出ないのよ。だからね。お前の場合も、肝臓、ちゃんと見ないとダメだね。あはは」
 で、超音波検査を受けることになった。嫌だよ。肝硬変は。肝癌と言われたら泣く。そんなことを思いつつエコー検査を受け、その後で診察室へ帰ったら、言いやがったね。
「オータケ。肝臓がん、は、ないみたいね」
「……」
「でね、肝硬変」
「……?」
「なってないみたいね。ニッポンの平均的酒飲みオヤジだね。軽い脂肪肝ってとこかな」
 脅かすんじゃあねえよ。なにひとつ言葉を継ぐことのできない私を見ながら、友人の医師はひたすらニヤニヤ笑うのだった。

(「書評のメルマガ」2008.5.19発行 vol.360 [昔日の客 号]掲載)



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