■2004年4月17日(土)〜4月30日(金)■

4月30日(金) お誕生日は立ち飲みマラソン          文責:タケ
 誕生日である。ああ、41歳。格別な感慨はないものの、41歳はバカボンパパの年齢、などと思いつつ夕方までコツコツ働く。そして16時30分。小生は浅草橋『西口やきとん』の客となった。ここは立ち飲み。開店から閉店まで立ったまま飲んでいられるかという、過酷なマラソン競技に挑んだのである。この顛末の前半部分は小誌第5号に、後半の、いよいよ大団円という下りは、第6号に掲載(予定)なので、詳しくは書かないが、なんとも実に、ハードなマラソンで、中央線全駅で下車してホッピーの飲める店でホッピーを飲みまくるという、創刊号から4号までの連載『中央線で行くホッピーマラソン』よりきついマラソンになってしまったのだった。帰りの電車の中で、途中から伴走してくれた編集Wクンになにやらしきりに話し掛けていたような気がするが、何を話したか、まるで記憶なし。

4月29日(木) ヤマメ4匹、おおイワナじゃないの!     文責:タケ
 祭日。末娘を連れて道志川へ。昨日試した場所をさらに奥へ入る。この前後3キロほどがキャッチ&リリース区間であることを知る。なるほど、フライフィッシングをする人の姿がちらほら見える。とはいえこちらはエサ釣りの用意しかないので、構わずエサ釣り。今日のエサはブドウ虫だ。よく晴れて温かく、平坦な川原は、不慣れな娘にも安全。実に気分良く、3時間ほど釣りを楽しむ。釣果は、18センチくらいのヤマメが4匹、そして、小さいながらイワナまで釣れた。これは嬉しい。持って帰れないから川へ戻すが、なんとも嬉しい。娘に竿を持たせ、要領を教えると、何度かのアタリを逃した後で、カワムツみたいな小さな魚を一匹、見事に釣り上げた。よーし、この次は下流へ行って、釣った魚を川原で焼くか、エラとワタを抜いて塩にまぶし、家へ持って帰って食おう……。夢膨らむ素人フィッシングである。当然ですが、帰ってからはビールをがぶ飲み。深夜、寝床で思った。フライもやってみっか。根が調子者だから、ハマルのも早いんである。

4月28日(水) 温泉取材、帰りは道志川へ           文責:タケ
 6時半起床。雨は上がっていた。南アルプスの麓、奈良田温泉まで取材。写真撮影は済んでいるので、一人で行って、湯に入ってくるだけの仕事。気楽なもんだと思う向きもあろうかと思うが、その通り、気楽なもんである。甲府から身延方面へ向かい、そこから山道をぐぐっと上がって目的地到着は11時過ぎ。まだ、目的の温泉宿の日帰り入浴は始まっていない。ここは早川の上流。道端の店のおばちゃんに、釣りはどうなのと聞けば、今日は昨日の大雨でどうにもならないが、いつもはヤマメが釣れるとのこと。へへへ。簡単なもんだが、竿と仕掛けが常時車に積んである。今年は釣りを始めるのだと決意してからそうしているのだが、こうなると、釣れないと言われてもなんとかしたい。ともかくエサだけを買う。昼飯をすませ、温泉にも入る。これはこれは、すばらしいお湯で、いや、来て良かった。はっきりと記憶に残る温泉のひとつになった。そして、よしこれで原稿は書けるなとメドを立ててから、川を探索する。どうにもこうにも濁っていて、流れも速い。釣り人の姿、2人ほど発見するが、やはりここは無理だと諦めて山を下る。下ったところは下部温泉。時間が許せば1泊したいが、それよりも釣りをしてみたい。しかし、下部川の岸沿いに上がったり下ったり2度3度と繰り返してみるけれど、どうにも良い場所がみつからない。やはり川の流れが速い。かくなる上は、なんとしても、今後釣りに来るときのために、釣り場を見つけたいという思いが強くなり、あとは東京へ帰るだけ、高速に乗らずにのんびりと車を走らせることにした。目指すは本栖湖。着いてみるとたいへん美しい湖で、湖岸の道では小さな鹿の姿も発見した。が、エサ釣り用の、しかも短い渓流竿ではどうにもならない。そのまま河口湖を目指し、そこから富士五湖道路で山中湖へ。湖で釣ろうというのではなく、このときすでに目標を道志川に定めていた。山中湖から神奈川県の相模原へ抜ける道がある。それを進めば、夕方ぎりぎりに、道志川の川原に立てるという目論見だった。そして道志川の川岸に車を停める。時刻は5時。日没まで1時間くらいか。道端の店で遊漁券を求める。日釣りが1000円で年間使える年券が5000円。1時間に1000円使うくらいならと、年券を購入。買ってあったイクラをエサにさっそく竿を出す。平日の夕方。車の数も少なく、川原に、人の姿は皆無だ。風の音がする。川の流れの音がする。対岸の林から、木々の、いい匂いが流れてくる。ときおり、空が唸るような音をたてている。冷えてきて、周囲が急激に暗くなっていくのに焦りながら、瀬、岩陰、小さな堰の下など忙しく探っていくが、アタリは来ない。いよいよ暗くなって、岩陰は黒く染まり、ウキ代わりの目印の赤も、見えにくくなってくる。釣れるならこの瞬間。子供の頃、日没のぎりぎりまで粘る兄貴の背中を見つめていた、せつないような記憶が蘇る。目印が動いた。その小さな動きに、胸を締め付けられるような感じを覚えながら瞬時に合わせる。コツンと手応えがあって、すぐに軽くなった。残念。アタリはそれが最後だった。再び車に乗り、真っ暗な国道を東へ向けて走る。相模原方面への分岐点で相模湖へ進路を変え、山道を下り、相模湖ICから中央道に乗った。時刻は午後7時。帰宅は8時ごろになるだろう。このときになって、猛烈な空腹を覚えた。釣りをしている間は、まるで何も考えない。この快感は、30年ぶりであることに気付く。今夜も、ビールがうまそうだ。

4月27日(火) 雨、早い帰宅、豚の味噌漬け          文責:タケ
 雨強く、某出版社へ持ち込む荷物も多いことから、車で動くことを決める。車で出てしまうと酒が飲めないから辛いし、つまらないのだけれど、そこは考え方次第。とっとと仕事を終えて帰宅し、ゆっくり飲みゃいいんだよ。で、その通りにして8時ごろには帰宅。ふだんはそんな時間に帰って来ることのない小生の帰宅に驚く妻を制しながら冷蔵庫を開けると、あった、あった、豚肉の味噌漬けが、そこにあった。こうなるともう1品もあれば十分。刻みネギに塩してゴマ油たら〜り。木綿豆腐に山盛りに盛って、小誌連載『瀬尾幸子さんのつまみ塾』直伝、ネギ塩奴のできあがり。豚はフライパンでじゅうじゅう焼いて、飲みたい気分満々になったとことで、ビールを開ける。うまいねえ。外はまだ雨か?こんな晩の深夜帰宅はけっこう辛いもんだが、今夜は帰宅しなくていい。ああ、いいもんだねえ、なんか思いながらビール2本で、あっけなく睡魔に襲われた。就寝22時。

4月26日(月) バーに取材に行ったら火がついて       文責:タケ
 5月末発行予定の『酒とつまみ』第5号の追い込みで朝方まで仕事をし、ちょっと寝て起きて、また追い込んで、午後1時にバーの取材。2時間ほどのインタビューは、モルトウイスキー話。聞いているうちに飲みたい気分に火がついて、取材を終えて店を出ると、ああそこは、有楽町なのだった。コリドー街へ行く。まだ3時だけれど、ああ、『ロックフィッシュ』はオープンしている。少しだけ、少しだけと言い聞かせながら、ああ、けっこう飲んでしまうのだ。ちょうどそのとき、我等が『酒とつまみ』編集部では、編集人とは名ばかりで原稿もいちばん遅い小生をよそに、第5号の発行延期が決定されていたのである。仕事場へ戻った赤ら顔の小生に、編集Wクンがそう告げた。だよね。だよね。無理だよね。へらへら笑う小生は、情けないやら、ああ助かったと安堵するやら、口をついて出た言葉が、じゃ、飲みに行こうか……。

4月25日(日) ベランダ酒 昼飯 其の2            文責:サイ
 昨日の昼飯に再挑戦だ。ベランダでビールを飲みながら作戦を練る。洗濯物を干し終わったかみさんが、昼何でもいいヨね〜。…俺が作る…。あっ、そ〜なの…、何作るの?…。だまって待ってろ…。材料は全て昨日と同じ。ギョニソも買って来た。グビリとビールを空けて、イザ!台所へ。全てみじん切りが終わり準備完了。卵に少し砂糖を入れる、昨日のタイミングでザ〜〜ッと炒め、醤油を垂らし、その後、細かく切ったかつお節をバラまいた。かみさんには大好評であった。またまたタイミングよく起きて来た娘が一言いった、なに、きのうと同じ?…。黙って食べてみろ…。娘は一気に平らげ、何にも言わず又、部屋へ入って行った。ふと見るとかみさんがおかわりしていた。ベランダへ戻り一人ビールをあおっていると、娘が部屋から出て来て、おかーさん、さっきのおかわりある〜?…。雲を見ながら残りのビールを流し込んだ。

4月24日(土) ベランダ酒 昼飯                文責:サイ
 居間のテーブルにメモ書きが1枚。3人とも珍しく今日は居るみたいなのでお昼ゴハン作ってやって下さい、夕方には戻ります。そ〜か、昼飯か。冷蔵庫をのぞく、誰も手を付けない魚肉ソーセージが4本残っている。ビールとソーセージ1本づつ持ってベランダへ。酔っぱらって帰る途中でコンビニに寄って必ずと言っていいほど魚肉ソーセージを買ってしまう。俺がガキの頃はこれが大好物だった。細かく切って炒めゴハンに入っていたり、薄く切った上に目玉焼きのソーセージエッグだったりした。チャーハンというより炒めゴハンというイメージが近い。だいたいはかまぼこが多かったが、たまにソーセージが入っていると、なんか妙に嬉しかった…。よし!昼飯はギョニソ入り炒めゴハンを作ってやるか。ビールとギョニソをやっつけてイザ!台所へ。タマネギ、ピーマン、ニンジン、シイタケ、そしてギョニソは全てみじん切り。フライパンにごま油でとき卵を炒める、炒め終わった卵は別皿へ、ごま油を足してバターと練りショウガを加えみじん切りのギョニソ達をドバッ!と入れる、あらかた火が通ったらごはんだ、シャカシャカと混ざり合ったら卵を加え味付けだ、塩とコショウだけで充分。最後にフライパンの周りに醤油を2回し、2〜3回あおったら出来上がりだ。バターを入れたところが炒めゴハンという感じ。タイミングよく娘があくびをしながら起きて来た。なんかいいにおい〜。ちょっと早いが昼飯だ、食うか?サンキュ〜、と言って一気に平らげた。旨いまずいでも無く、食べてさっさとまた部屋へ入って行った。俺も皿に少し盛ってビール片手にベランダへ出た。一口食べる、まずくはない…が、なんか物足りない…、もう〜一口食べる、うぅぅ〜ん…と、ビールをあおりグビリと炒めゴハンを流し込んだ。

4月23日(金) 中山さんのライブで感動            文責:タケ
 うーん。今日こそは追いこむのよねえ、と、二日酔いボケナス頭で考え考え、ヨチヨチ歩きの仕事を進めるけれど、ああ、すぐに夕方になってしまう。ここからがんばりゃいいのだが、本日はまた、画家さんたちが集まるイベントに行くことになっていたのだった。小誌創刊号と、第4号にエッセイを寄せてくれた牧野伊三夫さんは、画業の仲間たちと『四月と十月』という本を出版している。本日はその、創刊5周年のパーティなのだった。とはいっても、小生に、芸術的なことがわかるわけでもなく、パーティとなるともう、ただただ飲むしかないかと腹を決めて出かけるのだが、行ってみて驚くのは、第一にその盛況ぶりであり、第二にはその日のゲストなのだった。中山ラビさん。国分寺のお店に何度かお邪魔をしたことがあるのは、長く国分寺に住んだ牧野さんに連れて行ってもらったからだ。そのラビさんが、5周年の祝いにと、ギター1本で30分のライブ演奏をしたのである。ああ、いいよねえ、やっぱり。小生はもう、感動してしまって、パーティ会場のビールだのウイスキーだの、がんがん飲んでしまって、しかもそこで、やはりお互いに仲のいい小誌『つまみ塾』の瀬尾さんも登場して、一緒に流れ、渋谷で撃沈。井の頭線の車内で一瞬蘇って、吉祥寺で再度沈没、という激しい展開になったのだった。

4月22日(木) すわさんのライブで販売            文責:タケ
 新橋で、小誌連載陣のひとり、すわ親治さんのライブがあって、会場ロビーで小誌の販売をさせてもらった。発売から3カ月を経過している第4号だが、たちまち10冊も売れて嬉しい限り。楽屋にウイスキーを1本届けてから、こちらも飲みに出る。この日の売り子は小生ひとりだったので、上がった後の飲みもひとり。コリドー街の『ロックフィッシュ』から『ル・ヴェール』へ。こんなことしていてはいけないのだが、新橋で9時過ぎにひとまずの仕事を終えたら、ソウセザルヲエナイノデハナイカ? カタカナで書いてもダメだって? そうなんだけれども、やはり、なんというか、すみませんと、誰ともなく謝って、もう1杯、お代わりをしてしまうのであった。

4月21日(水) モルトバーで調子に乗る            文責:タケ
 ゴールデンウイーク後の1週間で一気に追い込んで5月末には納品に漕ぎつけるというのが、『酒とつまみ』5号の激しくも厳しいスケジュール。とはいっても第4号が1月の半ばに出ているのだから、すでに季刊誌の約束は守れていない。だのに、である。またもや雲行きが怪しくなってきた。どーにも厳しい感じが、少しずつだが確実に、いかんともしがたい勢いで盛りあがってきたのである。原因は小生の原稿遅れにある。それはいつものことだ。な〜に、ゴールデンウイークもあることだしと強気なコメントを口にしてはみるものの、ゴールデンウイークで全部書くと宣言した特集記事を1行も書かなかった昨年の前科がある(その結果、おお! 第3号の発行は8月になったのだ!)。誰も、小生の言葉を信じない。信じてもらえないと孤独だ。しかし作業は進まない。となると飲んじまう。最悪だ。本日も、某誌取材の下見と称して編集者とふたりしてモルトバーの客となるや、いや、これは、本当に下見なんだけれども、場所が場所だけにね、ほら、モルトの味、よく分からないなりに好きなものもあるのであって、それの、ちょっと古いヤツとか新しいヤツとかなんとか、つい、調子に乗ってしまう。そして当然のことながら、夜はまあ、そこで終わりというか、このあとできることといったら、飲みつづけるか眠るかのふたつにひとつ、ってな事態に陥ってしまうのだった。

4月20日(火) 日本選手権に影響される            文責:タケ
 書き物ばかりが溜まっているので本日は仕事場へ出ずに自宅作業。夕方までにはあらかたメドもついて、まずはビール1本。テレビでは、競泳の日本選手権を放映していた。夏に開催されるアテネオリンピックの代表選考会でもある。近頃の日本の競泳はやたらと強いので知っている選手も多く、酒が進む、いや、見ていて楽しい。ビールから酎ハイへ切り替えつつ、競泳をテレビ観戦する。好きな種目は個人メドレーとかメドレーリレー。競泳選手の泳ぎは、速いのは当然として、見ていてたいへん美しく思える。メドレーなら、ひとつのレースで、4タイプの美しいフォームを眺めることができるので、この種目がすきなのである。この日、メドレーの予選はなかったが、見ているこちらのほうは、なぜかメドレー状態に突入していた。酎ハイから安物のワインに切り替え、さて寝るぞというタイミングでウイスキーの瓶に手が伸びる。この日、4種目目。すでにヘロヘロに近い状態だから、フォームの美しさもへったくれもあったものではなく、ただ、ずるずるっと飲むばかりである。昔、昔、まだ20代だったころ、会社の後輩が夏休みを前に小生に向かってこう言ったことがある。「タケさん、休みはお子さんと海水浴っスか、焼酎の海で」 思えば、20代の頃からそんな人間だったのだ。若いってだけでは、必ずしも、いいって決まったわけではないのだな。ああ、イヤになる。

4月19日(月) 読者Y氏来訪で深酒               文責:タケ
 先週土曜日の深酒が尾を引いて、昨日は1日ぐったり。本日ようやく立ち直って小誌5号の『つまみ塾』の原稿を整理する。今回も瀬尾さんの力作(とは言ってはいけないのかもしれない)が揃った。発行が待ち遠しく感じられる。夜。Fという出版社のY君が訪ねて来てくれた。我らが『酒とつまみ』を買って読んでくれ、そのうえで、長い長い激励手紙までくれた人。ぜひとも一緒に飲もうじゃないかというので、編集Wクン、カメラSさんと小生の3人でY君を囲む宵となった。場所は、例によって仕事場近くの『上海ブラッセリー』。ここで生ビール、レモンサワーなどガブ飲みしつつ、いろいろ話す。というより、Y君、さかんに喋る。学生時代は『本の雑誌』でアルバイトをしていたこともあるそうで、「『酒とつまみ』の今の雰囲気というものは、『本の雑誌』の創刊後しばらくの頃と似ているのではないかと思うんですよ。といっても、その頃の『本の雑誌』を知りませんけど、ガッハッハッ!」とか言って豪快に笑うのだが、聞けばまだ24歳。若いんである。いいよなあ若けえってのは、と、このところの口癖がまたも口を突いて出そうになる。5号の入稿まであとわずかで、このところヘタリ気味の小生には、24歳の若き編集者が熱く語る生き生きとした表情が、眩しい。こちとらは、競馬でやられた後で静かに静かに熱くなるくらいが精一杯なのだ。Y君と別れ、家路についた。疲れている。もう帰ろうと思う。でもまだ、そのまま帰ってはいけないような気分が残っている。俺はまだ飲めるぞ、というようなワケのわからない気分が、残っているような感じなのだ。

4月18日(日) ベランダ酒 灰皿 其の2            文責:サイ
 2本増えてる、計4本。同じKENTだ。ちょうど起きて来たかみさんに聞いた。「あいつ吸ってるのか」…、もうだいぶ前かららしい、しかも上の息子もどうやらやってる、と言うのである。次男以上にたばこを嫌っていたのにな〜。なにも知らないのはオヤジだけ!と言うことなのか。ちょっと早かったが冷蔵庫からビールを取り出しベランダでプシュ〜っと開けた。グビリ!と一口、うまい!…このうまさも早く息子達に教えてやらねば!と思う。

4月17日(土) ベランダ酒 灰皿                文責:サイ
 ゆっくりと吸い終わったたばこを消そうと灰皿に眼を落とす。それはいつもとは違う灰皿であった。捨てられてる中身のことなのだが、俺の吸っているフィルターとは明らかに違う色のたばこが2本、混じっていた。しばらくの間、その2本のたばこを見つめていた。息子が2人いるのでそのどちらかだろう。どっちが吸っていようが、たいした問題ではないのだが、小さな灰皿の中にこれまでの日常に少しづつだが変化が起こって来ている、この事が俺をしばらくぼんやりとさせていた。その2本はKENTだった。しかも根元までしっかり吸ってやがる。今の俺にはとてもじゃないが強すぎて2〜3ぷくで消してしまうだろう。ガキの頃たばこの煙を嫌がって離れて行ってしまい、おとうさんくさい!としかめっ面をする次男坊が頭に浮かんで来た。


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