■2004年7月17日(土)〜7月31日(土)■

7月31日(土) 釣り番組ビールでお茶を濁す(文責:タケ)
 二日酔いというより、朝まで飲んでいたわけだから、午後の、相当に遅い時間まで回復しないのは当然のことだ。問題は、夕方までに人間に戻れるかどうか。その一点にかかっている。なぜならば、久しぶりの休日に、夕方から飲めないのはいかにも不本意だから。それだけの理由だが、こればかりは、その時刻になってみないとわからない。水を大量に飲んで食事もきちんと摂り、それなりに仕事など進めていれば二日酔いというのはいつのまにか消えていくものだが、本日はなんといってもオフである。仕事はしないと決めている。ということは、必然的にダラダラと体を横たえたままで徒に時間の過ぎるのを傍観しているしかない。これで酒が抜けるか。そこが勝負なのだ。どうにも、体も頭もかったるい。3時になっても4時になっても回復しない。そういや今日は釣りに行こうかなどと思っていたのだった、などということも思い出されてきて、非常に不本意。横になったままの体をエイとばかりに起こし、風呂場へ向かう。夏だというのに、温い湯をだんだん熱くしていって、我慢、我慢。ばんばん汗を流して、上がってからはクーラーに当たらず、汗が流れるままにし、さあて、ビールを取り出す。うまく入るか入らないか。シュポン。ビンビールの栓を抜いて、薄手のでっかいタンブラーになみなみと注ぎ、口をつける。入った。見事に入りました。嬉しい。これは儲けものだ。そこでテレビをつける。土曜日の夕方、釣り番組がある。ああ、行きてえなあ、と思って、またビールを飲む。うまい。けっこうな夕方のひとときになった。

7月30日(金) 久しぶりの朝まで酒(文責:タケ)
  「古書ほうろう」で開催された南陀楼綾繁さんのイベントを観にいく。行きがてら、『酒とつまみ』を20冊ほど置いてもらう。ありがたい限りの話だ。イベント会場でもビールが出たが、イベント後の2次会も盛況だった。韓国料理のお店を貸切状態にして宴は延々と続き、さてそろそろ終電だという時刻になっても席を立ちがたい。同じテーブルで飲んでいた『中南米マガジン』の金安さんはたしか自宅が遠いのだが、あまり気にしている様子もないので、電車大丈夫ですかと聞くと、何、電車がなくなれば歩くだけですよと返事をする。歩くったって、朝までかかるよ。おそろしいなこの人はと思っていると、金安さん、私の腹を指差して、歩かないから太るんですよ、なんですかその腹は、ときた。場所は西日暮里近く、ここからはるばる三鷹まで徒歩で帰るとなるとどのようなことになるのかと空恐ろしくもなるのだが、そこはそれ、夜半になるとはしゃいでしまう気性がここでもクビをもたげて、ああ、帰れない。夏のこと、仕事場まで帰れば眠れるという判断で、結局はタクシーに乗ってしまい、浅草橋と告げるつもりで口をついて出たのが数寄屋橋のひと言。ものの15分ほどでロックフィッシュの客となった。それから午前5時の看板までゆっくりと飲んで、有楽町からJRに乗った。東京駅で中央線に乗り換える。頭は朦朧としているのだが、そのぼろぼろ頭でふと思い出すのは、電車がなけりゃ歩くまでよと言い切った金安さんのことだった。電車乗れたかな。それとも、まだ、歩いているのかな。

7月29日(木) ああ、収入ないのに11時間飲み(文責:ナベ)
 一昨日の晩、吉祥寺でO氏とともに、止めどなくラムを痛飲したため、昨日はほぼ廃人状態。夕方に編集部に顔を出し、まったく仕事もできず、ただ自分の机にタッチして帰ってきた。飲み屋にも寄らず、吉祥寺駅前でラーメンを食べ、久しぶりに半身浴なんかしたりして、大して酒も飲まずにそのまま寝た。だからなのかわからないが、本日は体調バッチリで昼前には編集部に到着した。とはいえ、今すぐ取り掛かる仕事はない。すこぶる暇だ。5月、6月は第5号の制作や発送作業に追われまくっただけではなく、特に6月は、サッカーのユーロ2004のスカパー中継を飲み屋で毎日のように早朝まで見ていたので、その影響もあって『酒とつまみ』以外の仕事はまったくしていなかった。つまり収入はゼロ。その後もズルズルとしてるうちに暇人状態に。2002年6月の日韓W杯のときも仕事を入れず、ずっとスタジアムやテレビで試合を見まくり、その結果、7月、8月には、目の前にぶっとい極貧街道が広がったというのに、まるで学習能力なし。で、ボーっと天井など見つめたりしながら夏の昼下がりを過ごしたわけだが、幸いなことに単行本の企画を打ち合わせする用事があったので、そそくさと下北沢へ。今日は体がムチャクチャ軽い。やはり普段から飲みすぎなのだ。午後5時半、待ち合わせたフリーの編集者Yさんとともに飲み屋の暖簾をくぐる。キンキンに冷えた生ビールを片手に打ち合わせをしたのだが、その内容が頭の中に入るスピードよりも、生ビールが肝臓に入るスピードのほうが明らかに速い。昨日軽めにした分、そりゃもうスイスイ、ガブガブ、ドバドバ入る。1杯が2杯、2杯が3杯……。はっきり言って、ちゃんと打ち合わせができたのか怪しい限り。途中からバカ話などに変化しつつ、結局4時間強飲み続けていた。それでもまだ午後10時前。下北沢で電車に乗って吉祥寺に着いたのが午後10時半頃。そんな時間に解放されたら、いったいどうすりゃいいのか。いや、そんなの決まってる。「じゃ、1人でもう1軒」ってことでハバナムーンへ。いつもより早い時間に来たので店主に驚かれたが、こちらはもう随分飲んでるので、「いや、今日はね、軽く1杯かな、ウン」と返答。もちろんそんなこと信じてもらえるワケもなく、期待に応えて1杯が2杯、2杯が3杯……。でも、さすがにそろそろ帰ろうかと、翌午前1時くらいに会計を済ませようとすると、携帯に電話が。某雑誌で一緒に仕事をしている編集者Tさんが、原稿用の資料を店まで持ってきてくれるという。ううっ、こりゃ、帰れん。ってことで、もう1杯がもう2杯、もう2杯がもう3杯……。Tさんから資料をもらったときにはベロベロ。おまけに、ふと気づけばTさんは帰っていて、周囲にいたはずの常連の姿も見えず。かすむ目で時計を見ると、午前4時半だった。ああ、飲んで飲まれて11時間。千鳥足でフラフラと、ぶっとい極貧街道と化した吉祥寺通りを歩いて帰った。

7月28日(水) らもさんの訃報に接す・その2 (文責:サイ)
 昨日らもさんが亡くなった。最初に読んだのが『今夜、すべてのバーで』だった。ページをめくるのももどかしく一気に読み終えてしまった。それからは意欲的に本屋へ行くようになり、らもさんの本を読みあさった。俺の中でははっきり言って、「この人は天才だ!」と思う。一度雑誌の仕事でお会い出来る事になり大阪へ出向き撮影させてもらった時、フャインダー越しのらもさんは決して健康的と言える顔ではなかった。ゆっくり、淡々とインタビューに答えながら時々大笑いな冗談がさら〜っと口から出て来る。時間内のらもさんのしゃべりはまるでエッセイを読んでいるようであった。そして創刊号での再会の時もらもさん独特のしゃべりは変わっておらず、淡々とうんこの話や小説の書き方の話、そして酒の飲み方の話、それらがタバコの煙のようにゆっくりと文章になってらもさんの口から流れて来るのであった。『今夜、すべてのバーで』の最後は、[今夜、紫煙にけむるすべてのバーで。ミルクの杯を高くかかげて、地上へ倒れていきながら、おれは連中のために呟いた。乾杯!]…。俺の今夜は、居酒屋でホッピーを高くかかげ、一気にあおりながら、らもさんに「献杯!」するのであった。…ざんねんです…。

7月27日(火) らもさんの訃報に接す(文責:タケ)
 夜。某誌編集者と、カメラのSさんと一緒に仕事場近くの中華料理店で飲んでいると、中島らもさんが亡くなったという連絡を受けた。階段から転落して入院加療中という報道は耳にしていたが、突然の訃報に呆然自失の状態になる。後で合流したWクンと吉祥寺『ハバナムーン』で酒を飲んだ。『酒とつまみ』の創刊号をつくろうとしていた頃、らもさんにインタビュー取材をお願いし、快諾していただいた。もしあの時、あのインタビューが実現していなかったら、もしかしたら『酒とつまみ』はなかったかもしれない。そういうことを思いながら飲んだ。誌面には収録しなかったが、らもさんは、私の、ごく個人的な質問にもていねいに答えてくれた。やさしい人だった。ゆっくりと話しながら、日本酒を飲んでいた姿が、何度も何度も思い出された。

7月26日(月) 飲まずに少年野球観戦(文責:タケ)
 月曜日だったが、仕事を休んだ。勤め人ではないから欠勤がつくわけではないのだけれど、月曜日に仕事を休むのは、なかなか気が引ける。本当だ。ウソじゃない。休んだ理由は二日酔いでもない。これも本当。実は、ごく親しくしているご家庭のご長男の、野球の試合があった。飛行場の近くのグラウンドで、市の少年軟式野球大会が開かれるのだ。私には娘しかいないから、少年野球は、自分がやっていたとき以来のご無沙汰である。知り合いの長男はエースで1番を打つ。珍しいパターンだが、右投げ左打ちで足も速いことから、少年野球では何にも代えがたい先取点を狙った打順を、彼は担当しているのである。試合は勝ちあがりで、準決勝と決勝は明日の日程になっている。彼のチームがうまく勝ち残れば、明日も休もうなどと思っていた。1試合目。これは相手の練習を見ているだけで、安心できた。力の差がありすぎる。結果もそのとおりになって、我らがチームはコールド勝ちをおさめた。そして、2試合目。今度は立場がまったく逆。練習を見ているだけで、どうやらここまでだな、と思わせられた。こうなったらビールでも買ってきて一人遠くから眺めることにしようかとも思ったのだが、そのとき応援団の父兄のひとりで、顔見知りの奥さんが私に缶コーヒーを持ってきてくれた。ありがたく頂戴し、精一杯応援してあげようと思う。しかし、実力差がありすぎて、どうにもならない。こちらが焦れば焦るほど、相手は余裕を持ち始め、その気分の違いがひとつひとつのプレイに出る。あちらはニコニコ笑いながらおもしろいように盗塁を決めてくる。一方のこちらは、やっとひとつアウトが取れるかという平凡なフライを落としてしまう。負けていくことがはっきりしてきたときの落胆と屈辱が、何人かの顔に出ている。胸がちょっと熱くなる。応援団のお父さん、お母さんたちが絶叫する。息子の名前を絶叫する。かつて自分たちが受けたのかもしれない声援を、今、息子たちに送っている。試合はコールド負けだった。泣いている子がいる。泣くなと叱る親もいる。いいや、泣いたほうがいい、と思っている父親もいるだろうなと思いながら、さて、ビールでも飲みにいくかと、席を立った。

7月25日(日) 家でひとり、料理をする(文責:タケ)
 私を除いた全員が出かけていた。一人で、昼から缶ビールを飲み、少し本を読んで、少し眠った。買い物をして、カレーをつくる。鍋で飯を炊く。カリカリに焼いたベーコンと茹でたアスパラガスを入れたサラダもつくる。自分用には連載『つまみ塾』の瀬尾さん直伝「ネギ塩奴」と、スーパーでみつけた海老とシシトウの炒め物を用意する。料理をしながら、少し、ビールを飲み、完成したらテレビの前にどたりと座る。『笑点』の大喜利を見ながら豆腐を食い、ビールを飲み、海老を食い、ビールを飲む。また少し、眠った。深夜、映画『異人たちとの夏』を観る。テレビで放送された番組を録画したものだが、観るのは何度目だろうか。最近、死んだ父親のことを、よく思い出す。

7月24日(土) 出かけていく娘とすれ違う(文責:タケ)
  話は昨晩の続きだ。若い人々と飲んで元気を分けてもらったのか、『加賀屋』から終電近くの電車で吉祥寺へとたどり着いた私は、例によって『ハバナムーン』の客になった。いやー、楽しかったなあ。まだ、気分はそんなところである。『酒とつまみ』に直接関係しているのではない若い人たちが、わざわざみんなで来てくれた。それが嬉しくて、おじさんは吉祥寺でも大いにメートルをあげた。いや、もうくたびれ果てていたから、実はあげようと思ったメートルも、思ったほどには上がっていなかったかもしれない。そのあたりのことは、よく覚えていない。覚えているのは帰宅したときのことだけだ。朝になっていた。夏の早朝。団地の空き地に生えた芝生から、青い匂いが立っている。いいもんだな。久しぶりの朝帰りだ。そんなことを思いながら、そっと家の鍵をあけ、静かに中へ入る。「あ! 今帰ってきた」小学生の娘だった。起きるには早すぎる時刻なのだが、もう出かける準備ができている。地域で毎年行われる徒歩遠足に出かけるところだった。「お! 行くのか。気をつけるんだぞ」「じゃあね」 私はそろそろと寝床へ急ぐ。家内と視線を合わせないようにしながら、そろそろと寝床へ急ぐ。

7月23日(金) 若い人に囲まれて、はしゃぐ、はしゃぐ(文責:タケ)
 以前にも一度飲んだことのある、若手編集者のY君が、友人の編集者、出版社の営業社員、書店の店員など、何人もの友人と誘い合わせて、『酒とつまみ』を訪ねてくれた。まだみんな20代。私と編集Wクンを加え、一行は浅草橋東口近くの『加賀屋』の2階で大いに飲んだ。むろん、ホッピーである。閉店の時間まで、あっという間だった。飲み、喋り、ひとり40代のおじさんであるところの私も、若さにつられて、ずいぶんと、はしゃいだ。盛り上がりは長く続いた。ため息も、堅苦しい話も、割って入る隙間のないほど、会話ははずみ、他の客の姿が消えてもなお、終わる気配を見せない。女将さんがやってくる。ああ、とうとう水を撒かれるかと思ったら、女将、両手に大瓶のビールをもっている。「飲みなさいよ、いいから、いいから」とにこにこ顔で。また、一同は盛り上がる。中には電車の時間が危うい人もいるだろうに、平気で盛り上がる。おじさんは、女将が差し入れてくれたビールを、ぐいぐいと飲んだ。

7月22日(木) 昔はオレもこうだったんだ(文責:タケ)
  山のようにたまった仕事を、ようやくのことで片付ける。午後10時。どこかで1杯、いや2、3杯と思う。しかし今日は、まっすぐ帰ろうと、口に出していた。まっすぐ帰ろう。思えば、20代の頃、深夜まで働いても、早くに切り上げても、まっすぐに家へ帰っていた時期がある。金もなかったが、酒場で過ごすことに、疲れるような気持ちを持っていた。緊張するのである。だから、毎日は飲みに行かない。飲むにしても、自宅で、少しだけ飲む。そのほうが、気持ちが休まった時期がある。まっすぐに帰る、という言葉には、私の場合、そんな思い出がつきまとう。30代になったばかりの頃も、やはりまっすぐに帰った。バスに乗り、電車に乗り、またバスに乗って帰った。ライターという仕事を始めたばかりの頃で、なにより金がなかった。だから、まっすぐに帰る。家で安いウイスキーを飲む。久しぶりにまっすぐ帰りながら、そういうことを思い出す。バスで10分、歩いて25分という道のりを、ゆっくりと歩きながら、まっすぐ、まっすぐ、と思う。オレも昔は、と思う。あれから何ができたのだろうと思う。

7月21日(水) 届け物ひとつで平均3.5杯(文責:タケ)
 夜。連載『バーテンダー酒を語る』の佐藤謙一さんのお店に、届け物をする。体調のこともあり、飲んでも2杯と決めていて5杯飲む。ウイスキーのソーダ割りだ。新橋から銀座線に乗り、今度は渋谷へ。名店『コレオス』というバーの大泉洋さんに、『酒とつまみ』の最新号を届けに行った。ここで、2杯飲む。いずれも、ちゃんと手紙を添えさえすれば郵送で済む届け物である。そうすれば、7杯は飲まなくてすむ。あくまでも体調の悪いときの話ではあるが、それでも、なお、やはり出かけようという気持ちがある。昼の間は隠れていた一種の気分が、夜になると胸の中に生まれてくる。郵送なら数百円で済む届け物のために7杯の酒を飲む。が、しかし、これはやはり、止めようのないものなのだ。酒を飲みたいだけではなく、ある人の顔が見たい。その人が酒場にいれば、やはり、酒場へ行くことになる。

7月20日(火) 1年に1度くらいはこんな日も(文責:タケ)
 仕事場に出て決算の最終追い込みにかかる。午後11時、阿佐ヶ谷で、連載『飲んだくれザマミロ紀行』の山内史子さんと、写真を撮ってくださっている松隈直樹さんに会う。いい酒場で、酒も、肴もたいへん良さそうなのだが、何も口にできなかった。お店の方に悪い悪いと思い、山内さんにも松隈さんにも悪い悪いと思いながら、それでも、猪口の酒が入っていかない。小さめのコップにビールを2杯、酒は猪口に2杯。それが限界だった。タクシーで帰る二人を見送ってから、少し吐いた。こんな日が年に1度くらいある。

7月19日(月) もうすぐ夏休み(文責:タケ)
 昨晩は遅くまで、野球のときの熱が体内に残っていて、どうにも具合の悪い夜を過ごした。決算関係の仕事もいよいよヤバイ状態となった。そのため、朝起きると、早々に自宅での作業ときめ、さあさあ、一気にやるぞと思いはするが、そこはやはり意志薄弱の見本みたいな人間であるから、まずはプールへ。ちょっと体を動かしただけで嘘のように肩こりがとれることに味をしめたわけだ。軽く泳いで、また、いい気分になり、午後はマジメに働く。中学生の娘が、部活を終えて帰宅したのは午後8時。この暑い中の試合はたいへんだったろう。スポーツドリンクを飲む。冷たい緑茶を飲む。それからやっと、食事にかかる。それを見ながら、こちらはビールを飲む。まるで、自分が大汗を流してきたかのように、そのビールはうまい。明日が終業式で明後日からは夏休みだという。楽しい夏休みになるといいなと、思う。海にでも連れて行ってやりたいな、と思う。そういえば今日は海の日か。そんなことをツラツラ思いながら飲むビールが、ことのほかうまい。

7月18日(日) 4回コールド負け、でもビールがうまい(文責:タケ)
 ああ、忘れていたよ。今日は野球だったのだ。覚えていれば昨夜あれほど飲まなかったのに。なんて思っても後の祭りよ。テレビの気象情報によれば最高気温は35度。おまけにグラウンドはすり鉢状の窪地だから風が通らない。体感気温は40度。そこに野球の場合、ユニフォームが暑苦しい。さらに小生の場合、ユニフォームの下に贅肉のアンダーウエアを着込んでいる。苦しい。立っているだけで苦しい。試合前のキャッチボールを終えた段階で、小生は幼馴染である監督に言った。おれは今日は出たくない。ばーか、出るんだよ。出たくない。交代要員はほかに一人しかいねえの。じゃ、そいつ出してよ。ばーか、あいつはオータケより具合が悪いんだよ。あいつ、とか、そいつ、とか言われた交代要員は、これまた幼馴染なんであるが、具合が悪いというのは尿に糖が出るからだ。一方の小生は言わずと知れたγGTPである。ね。肝臓と、糖尿。いずれも生活習慣病だ。本人の自覚次第で症状を改善できる病であるのだが、なにね、本人の自覚が足りねえんだから仕方がねえ。まあ、野球でもやって、汗流して、少しでもスマートになればいいのよってなもんなんであるが、肝臓と糖尿がいたのでは試合にならない。われらがヤンキース、4回コールド負けを喫した。小生は3回まで一塁手で出場、キャッチャーフライ1本、2エラーとまずまずソツのないプレイに終始したのであった。ちなみに、3回の途中から小生の代打で出場したのがミスター糖尿である。ま、なにはともあれ、体感気温40度での草野球の後のビールは最高、月並みだけど、サイコー! という感じで、そうさね2リットルは飲んだかね。こりゃね、悪いよ、肝臓にも糖尿にも!

7月17日(土) 今週は最後までよく飲むよ(文責:タケ)
 連日の猛暑は、ここ何年と経験しなかったほどと思えるほどで、毎朝目覚めると二日酔いで火照った体を熱風が包み込む按配、実に気持ちが悪い。朝からビールでも流し込んでやろうかと暴力的な気分になるが、それをすればその後がさらに辛いのも目に見えているからやらない。ただ我慢して仕事場へ出かけ、ボロゆえに酷暑の日にはまともに役目を果たせなくなったヘタレ・エアコンがキューキューと悲鳴を上げるのを聞きつつ、昨日までにやり残した原稿仕事を、ヒーヒー言いながらこなしにかかる。能率は極めて悪く、夕方までの生産量は、体調良好時なら午前中に終えられる程度のものだ。そして夕刻、元気なら午前中で終わる仕事を終えた段階で、ヘタレ頭は考える。今日はこれくらいにしといてやろうか……。誰にともなくそう呟いて、後に考えるのは、どこに飲みにいくか、である。 最新号の納品もあったからひとまず吉祥寺まで引き返して、N、Wと2軒の店を回る。2軒目で、小誌の偉大なる広告主であらせられるFさんと会い、そこからずんずんと長い酒になった。


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